号泣SPをかばった安倍昭恵さん 弔問で友人に漏らした「私、本当に一人ぼっちに」

 事件発生からはや2週間。安倍晋三元総理を一番近い場所で支え続けた昭恵夫人はこの間、何を思い、どう振る舞ってきたのか。

 あの人が亡くなった意味――。7月8日、突然の凶弾に斃(たお)れた安倍元総理(享年67)。未亡人となった昭恵夫人(60)は、葬儀が終わった後も、そのことを考え続けているという。

「家庭内野党」を自任した昭恵夫人は、居酒屋の経営や森友学園騒動などでたびたび批判の矢面に立たされてきた。ところが、今回の事件を通じて浮かび上がってきたのは、夫の死に際して気丈かつ冷静に振る舞う姿であった。

 自民党関係者が事件発生直後を振り返って言う。

「安倍元総理が撃たれた直後の午前11時半過ぎ、秘書からの電話で昭恵さんは事件を知ったそうです。秘書は晋三氏の母親である洋子さんにはまだ伝えないでほしいと言ったそうですが、昭恵さんはまさに洋子さんと昼食を取ろうとするところだった。それで慌ててテレビを消して、取るものも取りあえず新幹線に一人飛び乗ったのです」

近鉄高速に乗って国へ行く秋江夫妻。京都駅では、秋江夫人と菅義偉元首相、安部内閣の西村康平衆議院議員らの面倒を見て、病院に駆けつけた。

昭恵氏は、「午後4時55分頃、安部元首相と対峙するかも知れない。なにより、昭恵は4時半ごろ入院しなければならない。しかし、病室に入れることができず、先に医者に呼ばれる」と述べた。 「もうない」と5時3分、A Kietは息を引き取ったが、A Kietは手を取り合って名前を呼んだ。 (ドン)

当時、東京富谷の安倍首相夫妻の自宅には、弟の寛武(かのぶ)氏と国防長官の岸信義(きし·のぶよ)氏がいた。

「安倍元首相の死亡は、6月に明恵の94歳の誕生日を迎えたばかりの陽子だが、息子を当惑させることなく、静かに耳を傾けた」 (ドン)

 翌日の午後まで、すっかり変わってしまった夫とともに、アキさんは東京に戻った。

 安倍元首相の遺体は、陽子が暮らした自宅の3階に位置し、外相だった父慎太郎氏の部屋とされる。

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