大垣城の築城については竹腰尚綱が明応9年に築いた説と宮川安貞が天文4年に築いた説の2説がある。
 永禄6年、氏家直元はそれまで本の丸・二の丸だけであった城を大規模に拡張し、慶長元年に城主となった伊藤祐盛が天守を築いた。
 関ヶ原の役では、西軍の拠点となり、関ヶ原以後、大垣城主は、目まぐるしく替わる。 
 石川・松平(久松)と替わり、寛永元年には岡部長盛が丹波福知山から入る。 寛永10年には岡部宣勝が播磨龍野へ、その後に山城淀から松平定綱が入るが、まもなく伊勢桑名へと移る。 いかに大垣城が幕府にとって重要な城の一つかわかる。
 元和12年、摂津尼崎より戸田氏鉄が10万石で入封てやっと安定する。 以後戸田氏が11代続いて明治に至った。

 戦時中に空襲で焼失したため現在の天守閣、櫓、城門は戦後再建されたものです。動画の最後に焼失前の古写真をアップしました。
 
撮影日時 平成20年5月4日
BGM 大河ドラマ「国盗り物語」オープニングテーマ

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