銃撃を受け、亡くなった安倍晋三元総理大臣の葬儀が12日に営まれ、沿道には多くの人が集まりました。昭恵夫人はあいさつで、「いつも私のことを守ってくれた」と話し、頬ずりをして別れを惜しみました。

■麻生氏の弔辞「かける言葉ない」

 増上寺の周辺は、安倍元総理と、最後の別れを惜しむ人々で埋め尽くされていました。

 焼香に訪れた人は、およそ1000人。12日午後1時から営まれた葬儀には、家族や親交が深かった関係者およそ200人が参列し、弔辞を読んだのは、盟友として長く安倍政権を支えた自民党の麻生太郎副総裁でした。

 麻生太郎副総裁の弔辞:「言葉がない。かける言葉がない。天国で(父の)晋太郎さんに、胸を張ってやってきたことを報告すればよい。(祖父の)岸総理も入って、政治談義をすることでしょう。そのうち、私もそちらにいくから、また楽しく話しましょう」

■沿道には多くの人「ありがとう」

 出棺は午後2時半すぎ。昭恵夫人は、棺に花を手向けた後、数分間頬ずりし、別れを惜しんだといいます。

 増上寺を出た車が最初に向かったのは、自民党本部でした。

 2006年に初めて自民党総裁に就任した安倍元総理。合わせて9年、総裁を務めました。

 やがて、車は総理官邸へ。2002年に現在の建物になってから、この場所で最も長く過ごした総理大臣が安倍元総理です。その思い出をかみしめるように、車列はいったん止まります。

 安倍元総理とは、当選同期の岸田文雄総理大臣。自身の公式サイトには、「多くの時間を共にした良き友人」と記しています。

■安倍元総理“最後の永田町”別れ

 「権力の回廊」を巡り、最後に通過したのは、1993年に初当選してから、30年近く通った国会議事堂。時に、野党と激しい論戦を繰り広げた場でもありました。

 衆参議長をはじめ、多くの議員に見送られ、永田町に別れを告げた安倍元総理は、斎場へと向かいました。斎場には、実の弟である岸信夫防衛大臣の姿もありました。

 岸大臣は12日昼、ツイッターに安倍元総理との2ショット写真を投稿しました。

 岸信夫防衛大臣:「兄を失いました。同時に日本にとり、かけがえのないリーダーを失いました。兄は日本を愛し、この国を守る為、政治に命を賭けてきました。遺された者達は皆、分かっています。お疲れ様でした。ありがとう。今はただ安らかに」

■昭恵夫人「いつも私を守ってくれた」

 12日午後8時すぎ、荼毘(だび)に付され、渋谷区の自宅に戻った安倍元総理。最後まで寄り添っていたのは、昭恵夫人でした。

 安倍昭恵夫人(喪主あいさつ):「まだ、夢見ているようです。主人のおかげで、経験できない色々なことを経験できました。すごく感謝しています。いつも私のことを守ってくれました。(吉田松陰の文章で)10歳には10歳の春夏秋冬があり、20歳には20歳の春夏秋冬、50歳には50歳の春夏秋冬があります。父・晋太郎さんは、総理目前に倒れたが、67歳の春夏秋冬があったと思う。主人も、政治家としてやり残したことはたくさんあったと思うが、本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後、冬を迎えた。種をいっぱいまいているので、それが芽吹くことでしょう」

(「グッド!モーニング」2022年7月13日放送分より)
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

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