1974年12月9日、総理大臣官邸に、国会で首班指名された三木武夫氏が入ります。
田中角栄前総理が金脈問題で失脚し、自民党の後継総裁候補、大平、中曽根、福田、そして三木氏の中から、椎名悦三郎副総裁が指名しました。
いわゆる“椎名裁定”です。
少数派閥を率いていた三木総理は、党内に配慮せざるを得ず、思い通りに閣僚人事ができませんでした。
ひな壇で両隣にいるのは、総理の座を争った次とその次の総理です。
1976年9月15日、内閣改造が行われました。
“クリーン三木”と呼ばれ、この年の2月に表面化した「ロッキード事件」について、徹底解明する姿勢を示しましたが、自民党内の反発を買います。
7月に田中前総理が逮捕されると、党内で「三木おろし」と呼ばれる倒閣の動きが起こります。
三木総理は解散に打って出たかったものの、閣僚から反対が出たため断念。
内閣改造と、党役員の入れ替えを行ったのです。
初閣議で、笑顔のない三木総理の向かって左に留任した福田赳夫副総理兼経済企画庁長官、小坂善太郎氏は外務大臣に。
大平正芳大蔵大臣、稲葉修(いなば・おさむ)法務大臣はともに続投です。衆議院議員では、前田正男科学技術庁長官のみが田中派から入閣しました。
この内閣改造では、派閥のトップ大平、福田氏を除いて、反主流派からは“三木おろし”に加わらなかった人物を選び、13人の閣僚が交代しました。
この時のひな壇で、三木総理の両隣はまたしても、福田副総理、そして大平大蔵大臣です。
三木総理は解散権を行使できないまま、12月、衆議院議員の任期満了で行われた初の選挙で、自民党が過半数を割り込む大敗を喫した責任を取って、退陣しました。
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