出典:EPGの番組情報

開運!なんでも鑑定団【江戸天才芸術家兄弟の焼き物&井伊直弼お宝に衝撃値】[字]

■ネットで買った…江戸<芸術家兄弟>のスゴい焼き物に衝撃鑑定額■実家物置で発見…半世紀眠っていた<幻のブリキおもちゃ>に驚き値■<井伊直弼>秘宝&<名画大会>■

詳細情報
番組内容
お宝は幼い頃、祖父に買ってもらったブリキのおもちゃ。当時は弟と共に遊んで楽しんでいたが、その後はほったらかしでその存在すら忘れていた。しかし昨年、弟が亡くなったのを機に実家の物置を整理したところ、50数年ぶりに発見!当時の思い出が鮮やかに蘇った。今となっては凄く価値があるものになっているかもしれないと思っているが…。衝撃の鑑定結果にスタジオ騒然!
出演者
【MC】今田耕司、福澤朗
【ゲスト】おいでやす小田
【アシスタント】片渕茜(テレビ東京アナウンサー)
【出張鑑定】名画鑑定大会
【出張リポーター】原口あきまさ
【出張コメンテーター】平野ノラ
【ナレーター】銀河万丈、冨永みーな
鑑定士軍団
中島誠之助(古美術鑑定家)
北原照久(「ブリキのおもちゃ博物館」館長)
安河内眞美(「ギャラリーやすこうち」店主)
山村浩一(「永善堂画廊」代表取締役社長)
増田孝(愛知東邦大学客員教授)
関連情報
【番組公式ホームページ】
www.tv-tokyo.co.jp/kantei/

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
バラエティ – その他
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸

テキストマイニング結果

ワードクラウド

キーワード出現数ベスト20

  1. 万円
  2. 乾山
  3. ブリキ
  4. お宝
  5. ゴジラ
  6. 依頼品
  7. 光琳
  8. 登場
  9. 反応
  10. 本物
  11. パステル画
  12. パトカー
  13. 依頼人
  14. 結果
  15. 平野
  16. オープン
  17. ジャカジャン
  18. ティンゲリー
  19. 井伊直弼
  20. 一緒

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

(3人)こんばんは。
さぁ 「鑑定団」始まりました。

今週も よろしくお願いします。
よろしくどうぞ お願いします。

世界中 今 たぶん みんな
おもんないと思うんで。

今田さん いつも
仕事ぶり楽しそうだから。

仕事やから楽しいんです。

俺 収録なかったら
家で こんなですよ。

オリンピックも終わったから。

今までなかった感情が
また芽生えてきて 最近。

映画で泣きたいとか…。
(笑い声)

なんやコイツ!

わかるやろ!
いちいちかけてくな!

忙しいねん!

<絶叫ツッコミで大ブレイク中。
お笑い芸人の

<卒業後
現 モンスターエンジンの西森さんと

蛇腹を結成するも…>

< その後 相方を変え
土瓶として再出発するも…>

< そこで

えっ 京都住んでるやんか
ここ大阪やで。

いや 交通費いりませんって
そういうわけにいけへんねん。

京都からチャリンコで来るわけ…
チャリンコで来んの!?

京都からチャリンコ?

何分かかんねん それ!

いや うち ごめんな
うちのバイト 全員15分圏内…。

15分で来んの!?

<キレッキレのツッコミを武器に

競輪選手みたい… 競輪選手なん!?

< それでも仕事は全く増えず

アルバイトで生計を立てる
苦しい日々が続きました。

転機が訪れたのは 2019年。

あるライブでピン芸人のネタに

ツッコミ芸人がツッコミを入れるという

企画があり

くじ引きで こがけんさんと
即席コンビを組み

ネタを披露すると これが大ウケ。

その話を聞いた奥さんの

「こが君と組んだら?」
とのアドバイスに従い…>

< そして

<結果は
惜しくも準優勝でしたが

こがけんさんの
ヒットソングによく似た変な歌に

小田さんが激しくツッコむネタで
大きなインパクトを残しました>

依頼人の登場です。

東京都からお越しの

ようこそ 「鑑定団」へ。

よろしくどうぞ
お世話になります。

きっかけが あの劇場のコーナー?

お客さん15人くらいでしたけどね。
え~っ!

劇場で思いっきりウケたときって

ちょっと人数
忘れさせてくれるよね。

1桁台でも爆笑起こるとき
やっぱ ありますもんね。

ほんま ウケたって感じなんですよ。

人生変わったやろ?

ありがたいことに
上半期 2021 ブレイク芸人 ナンバーワンに

ちょっと。
1番?

不思議なもんすよ
ほんま変わりすぎて。

おとついくらいも本棚の上に
M-1のマスクが置いてたんすよ。

出場者しかもらえへん。

なんで
この憧れのマスクあんねんって。

あっ 俺 出てたわ
っていうくらいの。

M-1って そんなもんなの?
違うやん!

夫婦げんかのときとか
どのくらいボリューム?

ちょっと待ってください。
ちょっと…。

ふだん そんな大声
言わないんで 僕。

何やっとんねん! とかないの?
言うか! そんなもん。

拝見しましょう お宝 オープン。

おぉ!

井伊直弼の書状。

母親の実家に代々伝わる。

祖母が
ものすごく大事にしてたやつで。

おばあちゃんが
手に入れたというよりは

もっと その前から
あったってこと?

たぶん家宝やったと思うんです。

で 祖母が亡くなったときに
母親が外に放り出してたら

雨に打たれたらしくて ちょっと。

だから こんな
しわくちゃになってんすか これ。

でも 花押っていうたら
サインじゃないっすか。

ここまで貫禄ない花押
あんまないと思う。

もう言うても
10年くらいやってるから

だいたいわかる。
やめてくれ!

井伊直弼って
滋賀県 彦根藩の人だったから

地域的には近いですよ。

滋賀県側なんで ほんで実家も。
滋賀県側?

滋賀県と こがけんって
近い感じが。

それは関係ない…。
相性がいいかもしれない。

僕 こがけんじゃないんで。
あ そっか。

さあ しがけん。
違う違う違う違う。

こがけんと しがけんで
やってないんすよ。

こが こがね。
こがじゃないです。

おいでやす小田です。
小田。

本人の評価額です。
150万で お願いします。

150万! まいります
オープン ザ プライス。

お~!
30万円!

これは どっちだ えっ?
何これ!

どっちだ?
これは 井伊直弼ではなくて

兄の井伊直亮という人の自筆の
手紙でございます。

井伊直亮!
井伊掃部頭と

書かれているんですけども
井伊直弼も同じように

井伊掃部頭というふうに
称しておりましたので

おそらく後世
名前の部分を読まずに

称号の井伊掃部頭だけで

井伊直弼と
判断したんじゃないかと。

は~!
直亮という人はですね

彦根藩の第14代藩主で
大老にまでなっておりまして

実子がいなかったので 弟の直弼を
跡継ぎにしたわけです。

宛てどころがですね
善住院というふうに

書かれておりますが
お寺ではないかと思うんですが

「甚だしい暑さ
酷暑ですけれども

私も元気です」と
いうようなことが
書かれてまして

珍しい資料だと
思いますので

大切になすってください。

よかったやん。
よかったというか ちょっと

100何万って 本物 バーか
偽物です 何千円とか…。

それで うわ なんやねんっていう。

せやな そういう意味では
もう最悪やな。

なんや!

リアクションとか
他の番組で やったらええやん。

うちの店
そういう店じゃないんですよ。

店いうてるやん。

ちょっとお母様に報告してね。
します します。

どうも ありがとうございました。
(2人)ありがとうございました。

<続いては 千葉県松戸市から。

早速 ご自宅にお伺いすると

和室で優雅に
お茶会の真っ最中でした。

次なる依頼人は

< お行儀よく
お菓子を食べているのは

<加藤さんが茶道を
始めたのは20歳の時>

<師範をしている
叔母の影響だったそうです。

10年前 こちらの家を新築した際

念願の炉を切り

以来 頻繁にお茶会を開いては

友人たちを
もてなしていましたが

最近はなかなか そうもいかず

こうして
親子で楽しんでいるそうです>

< お作法もバッチリですね>

きれいなお菓子と お茶を飲んで
おいしいなと思ってくれたら

いちばんいいと思っています。

<好きこそ
ものの上手なれ ですね。

ところで

<実は加藤さん

<集めた その数 なんと…>

<今回のお宝は…>

という思いで
購入いたしました。

< そして 届いた品を
よく調べてみたところ

そっくりな物が
美術館に収蔵されていると知り

ビックリ仰天>

本物だったら大発見だと思います。

鑑定のほど
よろしくお願いいたします。

<果たして いかなる焼物か>

依頼人の登場です。

千葉県からお越しの

ようこそ 「鑑定団」へ。
よろしくお願いします。

お願いいたします。

すてきな茶室でしたね。
そうですか。

あそこやと たててても
なんかね 気持ちも乗りますよね。

そうですね はい。

1, 000点に及ぶお茶道具ですか?
集めましたね~!

いちばん気になるのは 総額
いかほど使われているのかと。

計算したことないんですけれども。

きっと 100万円単位の。

100万円単位の。
何百万円かな なんて。

なんか おっしゃってますか?
ご主人は コレクションについて。

早く片づけてほしいとは。
(笑い声)

よく 「鑑定団」でやる逆ですね。
逆のパターンですけどもね。

それでは 今回のお宝
拝見したいと思います オープン。

うわっ きれい!

尾形光琳と乾山 合作の
お皿になります。

合作?
絵は光琳で お皿自体は乾山と。

乾山って書いてありますね。
これはいくらで落札したんですか。

送料含めて 6, 000円弱くらいで。

えぇ 6, 000円!?

自分なりにネットで調べましたら
大倉集古館に

同じものが収蔵されてるって
書いてあったので

えぇ やだ私 すごいもの
買っちゃったのかななんて思って。

ときめいてしまって。
まったく一緒でしたか?

まったく一緒でした。
形も一緒?

一緒です。
へぇ!

よくよく見たら
自分の持ってるもののほうが

きれいな感じだったので…。
こっちのほうがよい。

1人 興奮状態です。

<国宝 『燕子花図屏風』>

<緑青と群青のみで描き出された
燕子花の鮮烈。

絵師の名は…>

<斬新な造形と 華麗な絵付けで

焼物に新風を吹き込んだ
陶芸家…>

< この兄と弟は

ともに日本美術史に
さん然と輝く巨人である>

<徳川家康や淀君を顧客に持つ

京の高級呉服商
雁金屋に生まれた2人は

幼いころから きらびやかな衣装に
囲まれて育ち

また 曽祖母が
本阿弥光悦の姉だったことから

書や蒔絵に親しむなど
幅広い素養を身につけた。

光琳30歳 乾山25歳のとき

2人は 父のばく大な遺産を

受け継いだが

その後の生き方は対照的であった。

豪快で派手好きな光琳は

遊興にふけり
わずか数年で使い果たしてしまう。

あげくの果ては

弟の乾山にも
借金をするありさまであった。

しかし 40歳を過ぎた頃から
本格的に絵を描き始めると

天賦の才が 一気に花開く。

幼少の頃から培ってきた繊細で
芳じゅんな美意識を発揮し

瞬く間に人気絵師となり

ほどなく朝廷から

法橋の称号を賜った。

光琳畢生の大作 『燕子花図屏風』。

金地を背景に咲き誇る
燕子花の群生。

そこには
空も山も水も土も描かれていない。

しかも 花の描写には型紙を使い

あえて繰り返し配置している。

そのバランスは絶妙で

単調さはみじんも感じさせない。

日本美術に初めて登場した
リズムとデザインこそ

光琳にしか描けない
美の世界であった。

一方 乾山は町を離れ
静かな地に居を構えると

詩や書を楽しむ
隠とん生活を始めた。

更に かねてより憧れていた
野々村仁清に弟子入りし

37歳にして窯を開いた。

この窯が 都の西北

すなわち 乾の方角に

位置することから

乾山と号するようになった。

乾山が目指したのは

静かな水墨の味わいを
焼物で表現すること。

器に白土を化粧がけし

その上に鉄釉の濃淡だけで
絵を描く

白地銹絵と呼ばれる技法を
我がものとした。

また 色紙のように
平らでゆがみのない角皿を

好んで用いたが

これは単に
絵を鑑賞することだけを

目的としたのではなく

懐石道具の形式に
のっとったものであった。

この乾山の焼物を
更なる高みへと持ち上げたのが

天才的なデザイナー 兄 光琳であった。

すでに当代随一とうたわれた
光琳のしゃだつな絵に

乾山が得意の漢詩を沿える。

これぞ まさしく兄弟合作

書画陶一体の極みであった。

その後も乾山は

光琳の意匠を巧みに生かした

遊び心あふれる器を
次々と世に送り出した。

やがてその名は

京焼の
一大ブランドとなったのであった。

改めて 依頼品を見てみよう。

尾形光琳 乾山
合作の六角皿である。

見込みには 光琳の筆による

おおらかでユーモラスな寿老人。

裏には乾山の名が
堂々と書かれている。

依頼人の加藤さんによると

大倉集古館に
依頼品とよく似た皿が

収蔵されているとのことだが…>

<確かに そっくりである。

ということは これは
何点か作ったうちの1つか?>

ご自身で ご覧になって
いかがですか?

そっくりだなと改めて。

色合いとか そういうのもね
すごい似てましたよね。

そうですね。
あぁ 楽しみ!

ご本人の評価額です。
おいくらでしょう?

200万円で お願いいたします。

まいりましょう!
オープン ザ プライス!

1, 000円!
残念無念!

本物はね 18世紀の
初頭に作られた

重要文化財のお皿でね
この世に1点しかございません。

本物と比べて
何が違うかっていうとね。

まったく平面ですよね。

これね 使用に耐えるように
作ってございます。

お茶室で お使いになって

皆さんで 和気あいあいと
楽しんでください。

やっぱり素人目には
難しいんだなということと

これで気兼ねなく
使えるということで。

どんどん使ってください。
どうもありがとうございました。

< あなたの家に
飾られているのは傑作か

はたまた贋作か>

<本日の鑑定士は 山村と額賀。

早速いってみよう>

第17回 名画鑑定大会!

<ゲストコメンテーターは

バブル時代のギャグで おなじみ
平野ノラさん>

<実は絵を描くのが趣味で
最近の自信作が こちら>

(原口)おもしろい!
(平野)わかります? 何か。

これは顔ですね。
顔 そうです。

自画像なんですけど

油性マジックだったり 蛍光ペン
色鉛筆 いろんなペンを使って。

(原口)テーマみたいなの
あるんですか?

< まずは バイク修理が得意な
江尻さん>

いえ 違います。

<若い頃から バイクが大好きで
乗るだけでなく

動かなくなった古いバイクを
手に入れては

修理し 楽しんでいる。

現在 取りかかっているのは
こちらのサイドカー付きバイクで

バイク本体は ガレージに置いているが

サイドカーは家の中で保管している>

5~6年は
どうしてもかかるので。

5~6年。

< お宝は
宮本三郎のパステル画である。

緑の木々を背景に

十字架に はりつけにされた
キリスト像が描かれている。

宮本は 昭和を代表する
洋画家の1人で

生涯 華麗な女性美を追求。

写実と色彩の魔術師とうたわれた。

依頼品は
父 辰生さんが残したもの。

父は大の骨董好きで…>

なんで?

< そのため 父が どこで
いくらで買ったのかは

まったく わからない。

とにかく価値があるものなので

将来 お前の息子のために

大事に保管しておくようにと
言われた>

パステル画らしい。

私は この中間色のグラデーションが
美しいなと思います。

この十字架の後ろからくる光が
ほのかにあって

すてきだなと思いますけどね。

でも 夜中に買いにいって

明け方 帰ってきたって
ことですもんね。

<本人評価額は
これくらいかなと 50万円。

見ていると心が落ち着くので

自分も気に入っているが
パステル画なので

鑑定額は それほどしないかも。
果たして 結果は!?>

ジャカジャン! 100万円!

< やった~!>

100万は ちょっと…
考えてなかったですね。

本物で 間違いありません。

制作されたのが 1960年。

タイトルが 『長崎にて』。

おそらく スケッチ旅行で回っていた
現場で描かれたデッサン画の1枚。

筆が速いですよね。 輪郭なんかも
少ない手数で描いてますし

パステル特有の鮮やかな
伸びるような色遣いで

緑と黄色と青と すごく
シンプルな使い方なんですよね。

でも十分 森のすがすがしさとか

十字架の神々しさっていうものが
描けてる

貴重な宮本三郎の宗教画なので

ぜひ大切にしてください。
どうも ありがとうございます。

<続いては 手芸が趣味の

これも 自分で作ったんです。
えっ!?

すてき!
どう? ノラちゃん。

こういうのを作ったりして。
え~ かわいらしい。

うれしい
ありがとうございます。

<他にも バッグやヘアターバンなどを
作っており

フリマアプリで販売している。

お宝は…>

<デ・キリコは 20世紀初頭

形而上絵画を提唱。

実際に見ることの
できないものを描き

のちの シュルレアリスムに
大きな影響を与えた。

依頼品は 11年前 亡き父が
知り合いのイタリアのコーディネーターから

160万円で購入したもの。

父は とても気に入り
リビングに飾って楽しんでいたが

家族は皆 なぜこんな絵を?
と思っていた。

特に この左の絵は…>

最初の印象が気持ち悪い?

そうですね。

<一方 こちらの右の絵は…>

マンガ!?
マンガ!?

描けますよ。
(笑い声)

< そのため 父が亡くなったのち
フリマアプリに出してみたが

案の定 売れなかった。

そのとき つけた値段は…>

10万円を ちょっと下げて。

99, 800円!

<本人評価額は ダメもとで
父が買った金額の 160万円。

家族は誰も興味がないので
もし本物なら

父には申し訳ないが
すぐに売ってしまいたい。

果たして 結果は!?>

ジャカジャン! こい! 100万円!

<ダウンするも大健闘!>

100万円ついた!
すごい!

2点とも デ・キリコの版画で
間違いありません。

どちらも 1970年に
制作されています。

大きいほうの
タイトルが

マスク達
という意味で トータルで 142枚。

小さいのほうの
タイトルが

トータルで 77枚刷られています。

デ・キリコの代名詞といえば
1910年代の

この版画が制作された1970年
っていうのは それを発展させて

より明るいイメージの新形而上絵画
っていうものに

取り組んでいくんですね。
この頃から安定的な

収入を得るためか 版画を
制作するようになるんですね。

共に主役は マネキンでおなかの
部分とかに見えてるのは

機械的な何か
もしくは建造物。

生命感のない非現実的な
描き方っていうのは

形而上絵画の特徴であり
魅力であります。

明るいイメージで
描かれていますので

飾りやすいのではないかなとは。

<続いては

100均で買ってきた わざわざ。

なんで そんな被ってきて
くれたんですか?

だって

なるほど!

ボイストレーナーは もう長いですけど。
長いですか。

またちょっと…。

いえいえ…。

あ~ うまい。

<実は 声優の大山のぶ代さんとは
かねてから面識があり

大山さんが ドラえもんの役を
降板する際は

次期候補の一人に>

えっ!?
でも…。

声が。 総替えするのに…。

いやいや いやいや…。

< お宝は こちら>

(平野)圧巻ですね!

<スイス出身の芸術家 ティンゲリーは

金属廃棄物を組み合わせ

それを
モーターなどで動かす作品で知られる。

代表作 『地獄の首都No.1』は

高さ3m50cm
幅 7m80cmの大作で

時折 乾いた金属音を響かせる>

(金属音)

<20年ほど前
ライブハウスを経営していた際

ある大金持ちのお客さんと
知り合い

家族ぐるみで
付き合うようになった。

その方の豪邸に
夫と2人で何度も招かれ

ある時 気に入ったものを

なんでも
持っていきなさいと言われた。

外車を何台も所有しており

車でもいいよと言ってくれたが

自分は 迷わず この絵を選んだ>

黄色とかオレンジとか
大好きな色だったし

なんか インパクトがあったんですね。

これ ちょうだいって言ったら…。

でも デカイ ちっちゃいじゃなくて
これがよかったんです。

<本人評価額は 堂々の120万円。

その大金持ちの友人は

ほかにも いろんなものを
プレゼントしてくれたが

4年前 他界してしまった。

果たして どうなるのか>

<大金持ちの友人からいただいた
ジャン・ティンゲリーの絵。

果たして 結果は?>

ジャカジャン 来い! 5, 000円!

< う~ん 残念!>

ジャン・ティンゲリーが描いた
デッサン画の印刷ですね。

印刷!

ティンゲリーっていうのは
スイスを代表する

現代美術家なんですけれども

捨てられたものを 再利用
しましょうっていうような

前向きなというよりは

むしろ大量生産されて

それに対して 新しいものが
できては捨ててっていう

人間の愚かさですとかに対する

皮肉めいたもの
アンチテーゼ的な意味合いも

兼ねた作品なんですよね。

立体の作品は オークションで1億円。

あるいは それ以上の
値段がついていますので

これが 実際にティンゲリーが描いた
デザイン画 デッサン画でしたら

120万円はすると思います。

<続いては 5年前から

フランス語講座に通っている
阿部さん>

行ってみて どうですか?

自己紹介とかって
できたりします? フランス語で。

すばらしいですね。

< お宝は こちら>

うわっ ちっちゃい!

そもそも… これですよね。

そうです そうです。

<ロダンの代表作 『考える人』は

世界で最も有名な
彫刻のひとつである。

依頼品は 大正時代初期

医師だった義父 俊男さんが
ドイツに留学した際 手に入れたもの。

昭和10年 義父は研究のため
一家で満州に移住。

その頃 義父の知人に
こんな方がいた>

<終戦後 当時中学1年生だった
夫はこの絵を携え

兄と2人で先に日本に帰国。

研究のため現地に残った義父は

その後 程なく亡くなった>

その時…。

<以来 70数年

夫は この絵を
とても大事にしており

結婚してからは
ずっとリビングに飾っている。

本人評価額は
当てずっぽうで20万円。

ロダンが偉大な彫刻家であることは
もちろん知っているが

銅版画がいくらくらいなのかは
見当がつかない。

果たして結果は?>

ジャカジャン 来い! 50万円!

< よかった~!>

珍品だと思います。

ドライポイントという技法によって
描かれています。

タイトルは 『ベローナの胸像』。

ローマ神話の戦いの女神。

銅版画というのは 出来上がって
印刷した後に

納得がいかない
場合なんかですね

更に 手を加えることが
可能なんですね。

それぞれの出来上がった段階を
ステートと呼ぶんですね。

第1ステートから
第2ステートに向かって

左側の髪の毛の量が
ボリュームが増えていったり

頬の陰影なんかも
より濃くなっているのが

わかりますよね。
第3ステートが完成形になります。

依頼品も これですね。

1904年 1907年 1910年

3回にわたって
販売された記録が残っています。

お父様が購入された 時期的にも

合ってくる話だとは思います。

これからも
大切になさってください。

(原口)
はい ありがとうございます。

<最後は
熱烈な絵画収集家 金子さん>

それが。
もう 安いの?

安くて インパクト
印象的だったものですね。

< こちらが自慢のコレクション>

(平野)すごい!
(原口)床から天井までですよね。

(平野)斬新ですね。
(金子さん)これ 応接室なんです。

(平野)応接室!
今 2面しか見えてないですけど

もう2面は
どうなってるんですか?

やっぱり同じような感じで。
えっ 4面これですか!?

そうですね。

(笑い声)

< お宝は こちら>

<矢崎は油彩画
家として
出発したが

その後 パステル画に転向。

世界を旅しなが

各地の風景を描き

傑作を残した>

<依頼品は
去年 インターネットオークションで発見。

ラッキーなことに
誰とも競ることなく

25万円で落札することができた。

絵には 1918年12月4日とあり

詳しく調べたところ 矢崎は

この年を境に パステル画に
傾倒したとわかったので…>

すごい調べてるじゃないですか。

油絵なのに
そういう色味で描くかね

っていうような技法を用いた。

朝焼けにも見えるし
夕焼けにも見える。

<本人評価額は
期待を込めて 50万円。

今までで
いちばん高く買った絵だが

もし本当に最後の油絵なら
かなり貴重なものに違いない。

果たして 結果は!?>

ジャカジャン! 300万円!
(平野)やった~!

< これは すごい!>

すごいですね。
すごい!

本物で間違いありません。

油絵であるってことが
とても珍しい。

その中でも 風景画が
多い方なんですね。

静物っていうのも
すごく珍しいですし

私も初めて見ました。

制作されたのが 1918年ですね。

この年には中国の大連に移って

上海なんかで展覧会を
やっていた時期なんです。

この時期に 油彩画から
パステル画に移行していく。

これが いわゆる
最後の油絵かっていうのは

わからないけれども
たいへん過渡期で貴重な時期に

描かれたものであることは
間違いないですね。

空のあかね色 移り変わるときを
すごく大事にしていた

この作品も
あかね色に建物のブルーっていう

コントラストをつけて
穏やかで静かな情景が

うまく よく表現されているな
と思います。

ぜひ大切にしてください。

<第17回 名画鑑定大会は
これにて無事閉幕>

<続いては
記念艦 三笠で知られる港町

神奈川県 横須賀市から。

早速 ご自宅にお伺いすると

料理の真っ最中でした。

次なる依頼人は…>

<ちょっとコワモテですが

実は永井さん 元刑事で…>

<独身の頃から料理が好きで

現在も頻繁に
キッチンに立っているそうです。

で 作っているのは?>

< この日は
近所で一人暮らしをしている

長男 孝征さんが
久しぶりに遊びに来ていました>

おやじの豚汁 いいねぇ。

確かに元気がつくけど
ちょっと あついかな。

あとね もう一品

< と 自信満々に
運んできたのは>

はい どうぞ。

開けるよ。
食ってください。

何だこれ。
これは…。

通称

そのまま。

シンプルだけど うまいと思うよ。
なるほど。

シンプルに ちくわパンだわ。

何て言うんだろうな…。

<息子さんには
今いちだったようです。

ところで お宝は何ですか?>

< それは 小学校 低学年の頃

地元の百貨店に勤めていた

祖父 伊之助さんに
買ってもらったもの。

当初は 熱中したものの…>

< しかし 去年
実家を整理したところ…>

<見た瞬間>

あ~ 久しぶり
こんなのあったんだって

ビックリしましたね。

ひょっとすると 今となっては

すごく価値のあるもんじゃ
ないかなと思っています。

鑑定を
よろしくお願いいたします。

<スタジオで拝見しましょう>

依頼人の登場です!

神奈川県から お越しの

ようこそ 「鑑定団」へ
よろしくどうぞ。

お願いします。

おいしそうな豚汁でしたね。
ねぇ。

先輩から 教わるわけですか?
厳しい特訓があるんですよ。

張り込んでるときに 大抵
あんパンと牛乳をね

飲み食いするっていう
イメージがあるんですが

実際は どうなんですか?
コンビニのおにぎり。

あんパンは やらないですね。

てっきり ちくわパンもね
そういうところのアイデアから

きたのかなと思ったんですけど。
あ~ ホンマや。

あれはですね 簡単に
朝 パッと食べられる。

まあまあ そうでしょうけど。
あぁ じゃあ

警察は関係ないわけですか?
関係ないです。

拝見しましょう!

おっ おっ…。
よっ うわ~。

さあ これが出てきた。

ブリキのですね ゴジラとパトカーが2台。

去年ですね 弟が若くして
他界しましてですね

それで 弟の奥さんが
物置 これを 片づけたときに

珍しいものがあるよということで
連絡くれましてね。

ということは これで ご兄弟で
一緒に 仲よく

遊んでいたっていう
思い出があるね。
しましたね。

まず ゴジラ対ゴジラですよね。
ゴジラ 2体あるんですか?

そうです 2体あったんですが

1体は これ もう
破損でしょうね たぶん。

でも この状態で
よく残ってましたね。

(片渕)ねぇ 箱付きで。
そうですよね。

今でも動きますか?
あっ 動きます。

煙が フワッと出る。
えっ? 煙?
出るんです。

(片渕)すごい。
ちょっと やってみますか?

お~ 動いた!
うわ すごい ちゃんと動くやん。

あっ 出てる 煙も出てる!
出てる? 出てる?

まだ出てる!

パトカーも どうでしょうね。

あ~ 動いた 動いた。
おぉ!

(笛の音)

これ 音に反応するんですか?
音に反応するんです。
え~。

その笛にしか
反応しないんですか?

そうですね これに。
人の声は反応しないんですか?

反応しません。

曲がってくれる? だめです。

えっ 何それ
もう1回 吹いてください。

(笛の音)

あら!
すごい すごい!

初めて見た こんなの!
どういうシステム?

永井さん 口で 「ホ~」って。

ホ~。

少し反応しましたね!

<ブリキの七面鳥が のどかに歩く。

ブリキのお猿さんは…。

ナイスシュート!

レトロな ブリキのおもちゃは

今なお 人々を魅了してやまない>

< さびにくく
加工しやすいことから

19世紀の

<日本には 江戸時代後期

オランダから もたらされたが
貴重品だったため

主に 高級な茶道具に使われた。

明治時代になると

この ブリキを使って おもちゃが
作られるようになった。

当初 彩色は
手塗りで行っていたが

その後

<細かく 何色もの塗装が
可能になった。

このころ作られた
ブリキの戦艦には

なんとも鮮やかな彩色が施され

まるで 錦絵のごとくである>

<初めは 手で動かしたり

糸で引っ張ったりしていたが

ゼンマイが登場すると

複雑な動きが可能になり

創意工夫に富んだ
さまざまな おもちゃが誕生した。

これらは 海外に
盛んに輸出され

< しかし 次第に
戦争による統制が厳しくなり…>

<終戦後 再びゼロから出発した
日本のおもちゃ業界が

目をつけたのが…。

進駐軍のゴミの中にあった
空き缶であった。

これを再利用して
ブリキのおもちゃを作り

主にアメリカに輸出することで
外貨獲得を目指したのである。

この狙いは見事に成功し

なかでも 動力にはずみ車を用いた
フリクション玩具は

極めて画期的で 大人気を博した>

< こちらは
おもちゃメーカーのマルサンが

1953年に製造した キャデラック。

100以上ものパーツを組み合わせた
流線形のボディーは

実車と寸分違わぬ出来栄えで

ブリキのおもちゃの最高峰と
言われている>

<1960年代になると
月光仮面や鉄腕アトムなど

テレビ番組で人気になったキャラクターが
次々と登場。

折しも 電動モーターが
開発されたことにより

キャラクターそっくりの動きを
表現することが可能になった。

例えば 鉄人28号は
リモコンのスイッチを入れると

歩き出して 両腕をあげ

目や背中のロケットが赤く光る。

かくして 日本のブリキのおもちゃは
2度目の黄金期を迎えたが

やがて ソフトビニールや
プラスチック製が登場すると

急速に姿を消してしまった。

改めて依頼品を見てみよう。

ブリキのおもちゃ3点である。

1点は マルサン製のゴジラで
ボディーは鮮やかな緑色である。

リモコンのスイッチを入れると…。

吠えながら歩き出し
なんと 口から煙を吐く>

< こちらのパトカーもマルサン製で

電源を入れると
サイレンを鳴らしながら走る。

一方 こちらは
増田屋製のソニコン・パトカー。

ソニコンとは ソニック・コントロールの略で

音に反応して動く
という意味である。

スイッチを入れると動き出し…>

(笛の音)

<付属の

<3点とも箱付きで
状態もよさそうだ>

ご本人の評価額です
おいくらでしょう?

20万で。
20万円で。

まいりましょう
オープン ザ プライス!

やった~! 190万 やった~!

すごい。

すごい これ。
ありゃま。

内訳はですね パトカーが2台で
10万円です。

あら。
それで ゴジラが180万。

すげえ!

パトカーもね ちょっと状態が
今いちよくないんですよ。

動くのは動くんですけど 箱だとか
かなり遊んだ跡がありますね。

いちばん高いゴジラが なぜか
いちばん状態がいいんですよ。

スイッチを入れると 歩き出して
目を光らせて

口から煙を出すという。

体の中にニクロム線があって

そのニクロム線のところに
パラフィンオイルが巻いてあるわけです。

その熱で 煙になるわけです。

それをね ふいごで
押し出してるんですよ。

からくり人形みたいです。
なぜ こんなに高いかというと

まず 通常のゴジラはですね
黒と緑なんですよ。

この極彩色のゴジラが
とても珍しいんです。

あっ そういうこと。
いつごろ作られたかというと

1967年 当時の値段は900円です。

これは おそらく80体 作られた。

だから 僕もね おもちゃを
50年コレクションしているんですけど

見たのは 1 2 3 4つです。

それくらい珍しい
ドキドキするくらいうれしいです。

いや びっくりですね。
ねぇ。

あのとき戦わなきゃ
もう1体あったんですよね。

とにかくゴジラは
大事にしてください。

貴重なもの
ありがとうございました。

< お宝鑑定希望の方

お宝を売りたい方は

お宝の写真とエピソードを添えて

ご覧のあて先まで

どしどしご応募ください。

お待ちしています。

詳しくは番組ホームページを
ご覧ください>

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