2020年7月12日(日)アルボムッレ・スマナサーラ長老のパーリ経典解説と初期仏教Q&A@ゴータミー精舎のライブ配信録画です。パーリ相応部 大篇 11.預流相応 6.有慧品 4.病者経(Saṃyuttanikāyo Mahāvaggo 11.Sotāpattisaṃyuttaṃ 6. Sappaññavaggo 4. Gilānasuttaṃ)を読みます。釈迦国から遊行に出かけようとしていたお釈迦様に、マハーナーマ居士(釈尊の叔父)がこう尋ねました。「病で倒れている智慧のある在家仏弟子達に、どのように言葉をかければ良いのでしょうか?」お釈迦様は仏道を歩む人々の「病と死に対する心構え」を丁寧に説法されるのでした。(概要欄協力:関口玲さん、字幕とチャプター作成:匿名ボランティアさん)

・「病者経 Gilānasuttaṃ」(相応部 SN.55-54)和訳と原文|光明寺経蔵
https://komyojikyozo.web.fc2.com/snmv/sn55/sn55c54.htm

00:24 礼拝と慈悲の瞑想

05:04 パーリ経典解説「病者経 Gilānasuttaṃ」(相応部 SN.55-54)

06:54 病と死に対する心構え - 仏道の人は「生きること」をどのように観察するべきなのか?

※ 43:11 聖なる戒律の実践ーー幸福を希望するが、人はその目的に達する方法を知らない 相応部ヴェールドゥワーラ経|スマナサーラ長老のパーリ経典解説(05 July 2020 ゴータミー精舎)
https://www.youtube.com/watch?v=GPQjr71toOY

48:00 解脱へ導く技 - 死の間際であっても解脱は諦めない

1:08:10 否定の話から肯定の話に - 弟子は今の状況で満足せず、高い境地を目指すべきです

1:30:21 「私がいる」-悪の根源 - 有身見から、自我意識の中に{自我}がないことを発見する

1:34:15 初期仏教Q&A
※チャット欄に寄せられた質問を読み上げて、長老にご回答いただきました。

1:35:33 Q:死随念を続けていると、心臓の鼓動を強く感じたり、死の恐怖が襲ってくるなど、軽いパニック障害のような症状が起きました。瞑想の仕方が悪いのでしょうか?

1:37:34 Q:教学上の生存欲について質問をさせて下さい。道路で後ろから車が来た時など「死にたくない」との意識が自分の中で素早く回り、そして車を見たり・安全な場所に移る等、危険回避行動をとる自分がいます。「大念処経」P145に「自我があると思うと・・生き続けたいという気持ちになるのです」とありますが、上記の所の自分を観察すると、その時に自我を思考するような状況はなく(オートで?)車が来た→死にたくないと恐怖?が出ています。これは僕が、普段より生存欲が出る自我の錯覚を持ち続けている事実があり、それが無意識下にあって、このような(道路で後ろから車が来た)時にさっと「死にたくない」と生存欲が出るのでしょうか。それとも、自我の錯覚から生存欲的な思考パターンがベースにあり、(道路で後ろから)車が来た状況で→(反射のように)生存欲的な死にたくないとの思考がオートで素早くでるのでしょうか?道路で同様な体験をする度に疑問に思います。

1:45:22 Q:心は原因と結果の法則によって生ずるとすれば、自由な意思とか自由な発想は成り立たない、ということでしょうか?

1:49:17 Q:感情が湧いたとき客観的に観察したら、エネルギーの強さに驚きました。そのことに気付いてからは感情に先導され動くことが少なくなりとても楽になりました。それで質問です。1年前に父が亡くなりました。人はエネルギー体で、肉体が滅んだだけである。直ぐに輪廻するし、特に悲しむ必要は無い。家族を亡くしたときも慈しみの心で過ごせば良い。そういう認識で良いですか。よろしくお願いいたします。

1:50:16 Q:仏法僧に帰依するのが仏教徒( 30:51 )ですが。私にとっての僧(サンガ)とはスマナサーラ長老をはじめとして、テーラワーダ協会の皆様、この放送を一緒に聴いている皆様と言うことになるのでしょうか?よろしくお願いします。

1:51:30 Q:「私」という実体が無いのに行為の結果が返ってくる、というところが整理できずにいます。

1:57:14 Q:本日もありがとうございます。私は瞑想を始めたばかりです。朝に座る瞑想から引き続き日常生活の実況中継を実践しますが、頭がボヤッとした感覚になります。これは正しくできていますでしょうか?今まで怖かった虫などをじっくり見れるようになり嫌悪感がわかなくなっています。体は活発になり散らかっていた家が綺麗になりました。ただ頭の感覚が気になります。教えてください。

1:58:05 Q:タイに住んでおり、医学博物館というところに様々な本物の人体標本があり、見学する機会があります。 少々気持ち悪いのですが、自分も気持ち悪い臓器でできている。死んだら骨になる。思いながら観察してきたのですが これは死隨念の修行にはなりますでしょうか。どういう風に観察したらよいかアドバイスをお願いします。

1:59:39 Q:釈尊の教えは人格向上の教えであると理解しました。無我が真理であるので、私や魂などはもともと幻想で、輪廻しないと理解しましたが、人格や性格は輪廻して向上させつづけることができるという考えは合っていますか。見当違いな質問かもしれませんが、よろしくお願いします。

2:02:04 Q:生命は機械のようであると考えて生活するのはアリですか?別に生命のままだと嫌だという訳ではなくて、例えば、「ここの筋肉や骨は今このように動作している」と、分解された身体をイメージするとなんだか中立的に物事を見れる気がします。意識に関しても、意識がなぜあるのか科学的には未だに説明出来ないらしいですが、脳の神経回路が組み合わさって働いている結果生まれているのかなと物質的に考えることは出来ないですか?

2:04:25 Q:日本で現在行われているお盆の行事やお墓参り、お葬式、法要などは、小乗仏教では家族が亡くなった場合どのようなことをするのですか?3回忌13回忌などやる意味はありますか?

2:06:15 Q:自分の問題点がよく見えるようになる方法はあるでしょうか?

2:08:29 Q:質問です。今日のご法話を聞いて、人間界の五欲よりも高い天界の五欲を体験してみたいな、修行頑張ろうとやる気がでましたが、これって渇愛、執着にならないでしょうか? よろしくお願いします。

2:09:23 祝福の偈

■回向の文(動画を見終わってからお唱えください。)
「あらゆる生命に憐れみをもって真理を説かれた
 本師釈迦牟尼佛陀の聖なる教えに従い、
 我々がここまで積んだすべての功徳を、
 神々、先祖、祖父母、両親、親族、恩師をはじめとし、
 一切の生きとし生けるものに、回向いたします。
 この功徳によって、生きとし生けるものすべてが幸福に暮らせますように。
 そして、解脱を得られますように。」

■スマナサーラ長老のプロフィール
アルボムッレ・スマナサーラ長老(Alubomulle Sumanasara Thero)
テーラワーダ仏教(上座仏教)長老。1945年4月スリランカ生まれ。13歳で出家得度。国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとる。1980年に国費留学生として来日。駒澤大学大学院博士課程を経て、現在は日本テーラワーダ仏教協会で仏教伝道と瞑想指導に従事する。他にNHK教育テレビ「心の時代」出演、朝日カルチャーセンター講師などを務める。『ブッダの幸福論』『無常の見方』『怒らないこと』(和文)『Freedom from Anger』(英文)など著書多数。

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~生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように~

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