出典:EPGの番組情報
英雄たちの選択 昭和の選択スペシャル「1941 日本はなぜ開戦したのか」[字]
太平洋戦争開戦から80年。日本は圧倒的な国力差のアメリカとなぜ戦争を始めたのか?日本を開戦へと導いた1941年の分岐点に着目、リーダーたちの選択を徹底検証する。
詳細情報
番組内容
昭和16年(1941)12月8日、太平洋戦争開戦。日本は圧倒的な国力差のアメリカとなぜ戦争を始めたのか?戦争を回避する道は本当になかったのか?番組では1941年の一年に着目。日本を開戦へと導いた6つの分岐点とリーダーたちの選択を徹底検証する。市井に生きた作家・永井荷風の日記をもとに、当時の世相をアニメで再現。様々なジャンルの専門家が「開戦への道」を多角的に掘り下げ、現代そして未来への教訓を探る。
出演者
【ゲスト】薮中三十二,真山仁,小谷賢,一ノ瀬俊也,中野信子,【キャスター】杉浦友紀,【語り】松重豊,【声】佐野史郎ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(ラジオ)「臨時ニュースを申し上げます
臨時ニュースを申し上げます。
大本営陸海軍部 12月8日午前6時発表。
帝国陸海軍は 本8日未明
西太平洋において…」。
昭和16年12月8日
日本は ハワイ 真珠湾の
アメリカ軍基地を攻撃した。
太平洋戦争の始まりである。
この時 既に 日本は中国と
4年以上に及ぶ戦争の渦中にあった。
一方 ヨーロッパで勃発した
第2次世界大戦では
ドイツがイギリス ソ連と
しれつな戦いを繰り広げていた。
アジアとヨーロッパの戦火は
アメリカをも巻き込み
世界は戦争の時代に突入する。
当時の陸軍極秘資料で
克明に分析されていたアメリカの国力。
日本との差は 歴然としていた。
なぜ 指導者たちは アメリカとの
新たな戦争に突き進んでいったのか。
昭和16年の動向を つぶさに追うと
日本を対米戦争へと導いた分岐点が
いくつも浮かび上がってくる。
スタジオでは
さまざまなジャンルの専門家が
日米開戦への道を徹底検証。
結局 その 陸海軍が
一番 不安に感じてるのは
もう とどのつまり
石油の問題なんですよね。
やはり ドイツの存在というのが
非常に大きい。
自分に都合がいい
希望的観測の上に成り立っている
シナリオでしかないわけです。
一旦 動いてるものを止める
というコストの方が
心的負荷は高いんですよ。
だから それに
そうじゃないんだよっていうことをね
世論に あるいは
国民に説得するというのは
大変 難しいですよ。
ここで負けるっていうことが言えない。
まあ いわゆる
神話ができてしまってますよね。
市井に生きた文豪 永井荷風。
開戦へと向かう世相の中に
荷風が見つめていたものとは。
ダイトーアのキョーエーケンのため
ここは 我慢 辛抱 ツッパリ棒!
でもね 女将
ドイツがヨーロッパで 威勢がいいのに
お追従しているだけの軍人たちは
あまりに無知だと思わんかね。
シ~ッ 先生
そんなこと憲兵に聞かれたら
しょっ引かれちまいますよ。
1941年 昭和16年。
アメリカとの戦争を選んだ日本。
避けられる道は 本当になかったのか。
日本近代史上 最大の選択に迫る。
♬~
皆さん こんばんは。
今年は 太平洋戦争開戦から 80年の節目。
そして 今日 12月8日は
日本がハワイの真珠湾を攻撃した
その日になります。
なぜ 日本は アメリカと
戦争を始めてしまったんでしょうか。
開戦を回避することは
できなかったんでしょうか。
私の後ろに並んでいるのは
1941年 昭和16年のカレンダーです。
今回 番組では この1年に着目し
日本の運命を決めた
6つの分岐点を設定して
12月8日の開戦に至る道のりを
たどっていきます。
スタジオには
さまざまなジャンルの専門家に
お集まりいただきました。
今日は こちらの皆さんと一緒に
日本は なぜ開戦したのか
2時間たっぷり
徹底的に掘り下げていきます。
では まず 昭和16年前半の情勢から
ご覧いただきましょう。
♬~
昭和16年3月に発表された
「出せ一億の底力」。
国家への滅私奉公を歌い上げた
戦時歌謡である。
当時 日本は 中国と
終わりの見えない戦争を続けていた。
遡ること 9年前。
政府を凌駕する
力を振るっていた軍部は
中国東北部に傀儡国家 満州国を建国した。
昭和12年 更なる勢力拡大のために
起こした軍事衝突は
中国との大規模な戦争に発展した。
その2年後 ヨーロッパでは
ヒトラー率いるドイツが
ポーランドに侵攻し
第2次世界大戦が勃発。
世界は 戦争の時代に突入した。
中国では 当初
日本軍が戦闘を優位に展開した。
しかし 中国 蒋介石政権は
首都を南京から重慶に移して
徹底抗戦を続けていた。
中国を支援していたのは
日本の権益独占を認めない
アメリカ イギリスである。
アメリカ イギリスと日本は
中国を挟んで
抜き差しならない対立関係に陥っていた。
昭和16年 日中戦争は 既に4年が経過し
泥沼化していた。
だが 日本の軍部は
この戦争を聖戦と名付け
メディアを利用して
戦意高揚を国民に働きかけていた。
♬~
当時の民衆の暮らしぶりが分かる
貴重な資料が残されている。
文豪 永井荷風が 大正6年から
戦時中も欠かさず つづり続けた
42年にわたる日記である。
こちらが 永井荷風の
「断腸亭日乗」の原本となります。
全て荷風さんの直筆になります。
身辺の雑事から社会情勢に至るまで
当時の東京を生きた
率直な感情が 克明に記されている。
荷風さんは
まず 手帳のようなものにですね
その日あった出来事を
マメに記録をされまして
そのあと 推敲を重ねて
その 時代 時代の変遷的なものをですね
日々 刻々とまとめられたもので
市井に生きた人々の目線で見た日常
というものが
この日記の中には
表現されているかなと思いますし
荷風さんならではの視点で
書かれているのではないかなと
思いますので
そういった意味では…
…で書かれているのではないかな
というふうに感じますね。
足しげく通った場所の詳細な地図も
日記に書き込んでいる。
荷風が残した記録を手がかりに
昭和16年の東京に分け入ってみよう。
先生 牛鍋 はい お待ち。
うん。
ん? 女将 これは… 芋か?
はい さようで。
もう今どきは お米不足で…。
これで おなかの足しにしてくださいな。
これじゃ まるで
寄宿舎の食堂のようじゃな。
近頃は 軍人らが幅を利かせよって。
わしのような 気ままな物書きにも
不自由なご時世になったものだ。
だが 腹は減っても 心の自由までは
どんな政府にも渡さんぞ。
先生 何 怖い顔してらっしゃるんです?
お気に召しませんでしょうけど
兵隊さんのご苦労を思えば…
どうか… こらえてくださいな。
ん? うん…。
鉄砲担いで 大陸に出ていったせいで
アメリカまで
巻き込んでしまったというのに…。
「余は
日本人の海外発展に対して
歓喜の情を催すこと あたわず。
むしろ 嫌悪と恐怖とを感じて
やまざるなり」。
昭和16年前半の日本の情勢を
ご覧いただきました。
この太平洋戦争開戦をテーマに
今日 お送りしていくんですが
今回 長らく外交の最前線で
活躍されてきた
薮中三十二さんにも
お越しいただいています。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
薮中さんは
開戦については
どのようなことを感じますか?
もう 既に 日本は
戦争を行ってると。
こういう時っていうのはですね
外交 難しいんですね。
世論と外交っていう関係で。 っていうのは
相手がありますからね 外交は。
やろうと思うと
すぐ出てくる言葉は 弱気な外交とかね。
また 軟弱なことを言ってと。
そういうふうになってしまうと。
これを 今度 感じますですね。
これを今日 まあ ずっと そういう中で
見ていきたいと思います。
続いて 軍事史がご専門の小谷 賢さん。
小谷さんに伺いたいんですが
この日米が悪化したきっかけ
中国だったんですね。
アメリカっていうのは
長らく 中国における門戸開放と
つまりは その商業活動の自由というのを
ず~っと求めてきたんですね。
で 逆に 日本は 満州に出てってですね
まあ 満州を勢力圏に置いたということで。
更に日本はですね 満州のみならず
まあ 今度は
中国と戦争を始めてしまってですね
日中戦争を 長らく戦うことになった
ということでありまして。
まあ これは もう アメリカとしては
もう許容できないということに
なってきたんですね。
まあ ですから
当時 アメリカは 日本に対して
さまざまな経済制裁というものを
科すということで
なかなか やっぱり…
さあ 続いては
近代史がご専門の一ノ瀬俊也さんです。
よろしくお願いいたします。
お願いします。
一ノ瀬さん。
あのアニメにも描かれていましたが
この日中戦争が長引いたことで
国民は大変な状況になっていきますよね。
そうですね。
昭和16年の日本っていうのは
非常に生活物資が不足しているわけです。
さまざまな物資を
中国大陸へ送らないといけない。
昭和16年の4月には
米の配給制度が始まっています。
まあ それぐらい食べ物が
なくなってきている。
そのことは
国民の不満に直結していきます。
じゃあ 非常に鬱屈がたまってくる。
じゃあ その鬱屈を解決するためには
どうすればいいのかというと
中国を降伏させるしかない。
じゃあ 中国は
なぜ降伏しないのかっていうと
アメリカが支援しているからだ。
脳科学者の中野信子さんですが
当時のその日本の国民の中では
どんなことが起こっていたと
想像しますか。
あの 内集団バイアス
というんですけれども
集団バイアスというのは
自分は そうでもなくても
その集団は すごい。
自分の属している
例えば ここの卒業生であるとか
この民族であるとか。
自分は そうでもなくても
その集団に属している自分はすごい
というふうに思いたいために…
経済的に弱体化しているとか
自分が惨めな状態になっている時に
そのバイアスが起こりやすいので
経済的な危機が起こると そのリスクが
より高まるという現象がありますから
先ほど 一ノ瀬さんがおっしゃったような
社会事情というのも
全く無縁ではないというか
かなり大きく寄与していると思います。
その世論が膨張していくことによって
まあ どんどん理性が失われ
外交のバランスも悪くなるわけですよね。
で 今から見るとですね
多分 この時代って…
アメリカと戦争して勝てるわけないって
冷静に考えれば 誰でも分かることが
その 全然 そこの頭が
もう 全然 いってない…。
これが その世論の怖さで。
多分 その世論を あおった人たちが
焦ってるみたいなところが
多分 これから出てくると
思うんですけど…。
これは ひいては
今の日本にも ものすごく
まあ もうコロナなんて
まさに その最たるものなんで。
我々は なぜ こう興奮して
我を忘れるのかっていうのは
すごい 今日 重要なキーワードなのかな
っていう気がしますね。
さあ そんな空気の中 4月に届いた
1通の文書から最初の分岐点が訪れます。
日本の中国侵攻で
険悪な関係に陥っていたアメリカから
1通の文書が届いた。
日米諒解案と呼ばれる この文書には
両国間の関係改善に向けた
7項目が記されていた。
当時 日本が抱えていた最大の問題は
終わりが見えない日中戦争の終結だった。
諒解案には アメリカが
日中間を仲裁する用意があることが
記されていた。
日中戦争を
日本の侵略と見なしていたアメリカは
中国 蒋介石政権を支援していた。
そのアメリカが
日中間の和平を促進しようというのだ。
更に 国際的には
認められていなかった
満州国の承認も
提案されていた。
加えて
太平洋地域の平和と
日米の通商関係を
再構築するための首脳会談も提案された。
譲歩とも取れる アメリカからの提案には
理由があった。
それは 前年に日本が
ドイツ イタリアと結んだ
三国同盟の脅威だった。
ヒトラー率いるドイツは
ヨーロッパを席巻し
フランスをも屈服させていた。
アメリカの同盟国 イギリスが
ヨーロッパで
対ドイツ戦の矢面に立たされていたのだ。
アメリカ ルーズベルト大統領は
イギリスへの軍事的援助を
急がなくてはいけなかった。
アメリカは 大西洋を越えて
イギリスを支援しながら
同時に太平洋で日本と戦うことを
避けたかった。
日米諒解案で
三国同盟は こう解釈されている。
これを
この諒解案で確約させようというのだ。
近現代史を研究する 井上寿一さんは
この時 アメリカは 三国同盟を
大いに危惧していたと見ている。
アメリカは移民の国ですから
特に ヨーロッパからも多数の移民が
アメリカに渡ってきている。
アメリカから見ると 自分たちの…
これは 立ち上がらなければいけない
ということでした。
そうだとすると 余計…
日米諒解案によって
戦争が避けられるんだったら
それはそれでいいと。
事実上 三国同盟から離脱する。
あるいは
実質的な効果は持たないような
空文化させる
そういう意図がありました。
日米諒解案は アメリカ政府高官と
日本の軍人や外交官とで練られ
両国が協議のテーブルに着くための
試案として提示された。
アメリカ ハル国務長官は
諒解案と共に
協議の前提となる
アメリカの基本的な
4つの原則も伝えていた。
それは
すべての国の領土保全と主権の尊重
太平洋地域の現状維持などである。
中国に領土的野心を持つ日本には
受け入れ難いものだった。
それを察した駐米大使 野村吉三郎は
この4原則を あえて本国に伝えなかった。
野村大使に好意的に解釈をすれば
これは まさに…
…っていう趣旨だと思います。
ただ もうちょっと厳しく考えれば
やっぱり 大使ですから
伝えられたことを 正確に
本国政府に伝えなければいけなくって
かえって それが そのあとの…
日米諒解案のみを受け取った
首相 近衞文麿は
前向きに検討する姿勢を見せた。
軍部も好意的に受け止め
日米関係改善に期待した。
日米諒解案が届いた5日後
外務大臣 松岡洋右が
ドイツ ソ連などの外遊から帰国した。
いよいよ アメリカと
本格的な交渉が開始されるかに見えた。
しかし 諒解案を見た松岡の反応は
意外なものだった。
ワシントンの野村大使が
自分を差し置いて
出過ぎた行動をとったと受け止めたのだ。
その内容についても
米国の悪意七分
善意三分と決めつけ
近衞首相たちとの議論を打ち切った。
松岡は 今回の訪欧で
ドイツとの関係を深め
更に ソ連とも中立条約を結んでいた。
松岡には 対米交渉に向けた
独自の構想があった。
アメリカと対等な力関係を築くため
日 独 伊にソ連を加えた4か国で
対抗しようと考えていたのだ。
三国同盟の仕上げに
わざわざ欧州へ行ったのも
日ソ中立条約を結んできたのも
皆 アメリカと交渉する土台を作るためだ。
それを
バカどもが アメリカに乗せられて
めちゃめちゃにしよるのだ。
松岡外相は
アメリカに向けた
オーラル・ステートメントを
発した。
「日本は 三国同盟に基づき
ドイツ イタリアとの関係を
少しも変える気はない」。
やっぱり あれだけ 三国同盟を堅持する
というようなことを言ってますし
アメリカ側を絶望に陥らせるというか
これじゃあ もう…
彼自身は よく知られていますけれども
外務大臣として実績を上げて
それをもとに 次は 自分は
首相になるんだというのを
かなり明確に持っていましたので
ひるまず 譲歩せず
日本側の主張を
強く押し出しているんだという…
5月12日。
日本は正式に
松岡案とも言える大幅な修正案を
アメリカに通告した。
(下駄の音)
ニッポン ドイツに中国 アメリカ。
それに ソビエトまで… か。
まるで迷宮 ラビラント。
ぬ け ら れ ま す。
本当に この道は
通り抜けられるのだろうか。
ご覧いただいたように 日米諒解案という
文書への松岡外相の反応が
最初の分岐点です。
小谷さん。 松岡は かなり激しく
この日米諒解案に対して反発しましたね。
はい そうですね。
松岡という人は かなり
我の強い人でありましたので…
特に松岡にとって
野村大使というのは これは まあ
いわゆる メッセンジャーにすぎない。
要は 自分の方針を
相手に伝えるためだけの存在にすぎない
というふうに考えていたのがですね
その野村大使が勝手に動いていると。
これは どうしたことか
ということになりまして。
まあ 相当 怒ったんじゃないか
というふうに思います。
松岡は 若い頃 苦労して
アメリカのオレゴン大学を
卒業しているわけです。
そこで得た
アメリカに対する見方というのが
アメリカ人というのは
最初に とにかく強く出て
まあ ブラフ ハッタリをかけて強く出れば
こっちの言うことを聞くんだ。
…みたいなものを
ずっと持って帰っちゃってるんですね。
手札を見せないけど 俺は強気だ。
強気は悪くないと思うんですよね。
ただ このポーカーをやっている人は
後ろに 日本という国が
まず いるんですけど…
本来 ポーカーは 相手とやり取りをして
駆け引きをしなきゃいけないんですけど
もう既に 総理大臣的な発言や
その建言をしている。
つまり 後ろを向いても駄目
前を向いても駄目で。
激高するって
ポーカー 絶対 負けるパターン。
ちょっと すみません
やっぱり 外交専門家の薮中さんに
それを 是非 聞きたいんですけど。
何かね 僕も よく怒るとかいう評判が
立ってたみたいですね。
あの そこは ちょっと
微妙なところがあるんですけど…。
僕は 交渉そのものはね
相手に ちゃんと言わなきゃいけないと。
日米経済摩擦交渉なんて
やっててもですね
「まあ とにかく 理解してください!
理解してください!」なんて
日本が言うんじゃ
全然相手にされないんですね。
「あなたのところの財政赤字を
なんとかしろ!」と言わないとですね。
そうすると 向こうも少し。
だから そういう意味では
松岡のやり方っていうのは
あったと思うんですね。
ただ もう一つ
松岡に 若干 僕は ひょっとしたら
これは正しかったんじゃないかなと
思うのは…
う~ん そうですね。
だから 外交のプロ的に
彼が見たとすればですね
こんなの甘すぎるよと。
アメリカが 普通ね
アメリカ案として出てくるはずがないと。
だって 満州国を認めるなんていうのは
そんなことは 絶対ありえないよね
というのを思ってたんですね。
だから 案の定…
つまり 手の内を
どこまで知っているかを知るために
わざと甘いカードを出すみたいなことは
アメリカって よくやるんですよね。
逆に言うと
ここは そういう ふりをして
こんないいカードをくれるんだったら
喜んでっていう 握っておいて
厳しく来たら でも こういうのを
我々は いいって言ったのに
何で こんなことを出してくるんだ
っていうぐらいの 本当は何か…
真山さんを
外交の舞台に出したかったですね。
いやいや いやいや…
ここだから言えるんで はい。
中野さん どう思います?
この松岡という人は
非常に興味深い人物ですね。
やっぱり それなりに
実力はあるんでしょうけれど
自己効力感って しばしば あの
話題に出るタームがありますけれども。
これは 自分が何々を成し遂げたから
自分はすばらしいと思っている。
例えば 今で言うと こう
SNSのフォロワーが多いとか
高額納税者であるとか。
そういうところに
自信は持っているんだけど
実のところは…
こういうタイプの方は。
立場がなくなると
自分がなくなるような感じがするから。
そこを棄損されると 非常に
その相手を恨みますし 激高するので
そういう現象が
起きたんじゃないだろうか。
う~ん。
この日米諒解案に対して 松岡は
5月3日に オーラル・ステートメントで
否定的な反応を返すわけですけど。
小谷さんは これを分岐点として考えた時
どんな影響があると考えますか?
この時点で…
…にしようというような方向に
進みつつあったんですね。
まあ しかしながら
松岡が それを見て怒って
三国同盟の重要性を訴えるというような
内容になっちゃったんですね。
ですので これで もう…
もう恐らく 日米交渉というのは
松岡が外務大臣をやってる限りは
まとまらないだろう
というような印象を
アメリカに
与えてしまったんじゃないかと思います。
さあ 松岡外相が
中立条約を結んできたばかりのソ連と
日本の同盟国 ドイツとの動きから
世界は大きく変動していきます。
それが引き金となって 日本は
第二の分岐点を迎えることになります。
ヨーロッパで
新たな戦いが勃発した。
ドイツが 豊富な資源や農地を求め
ソ連に侵攻したのだ。
(爆発音)
この事態に
自ら日ソ中立条約を結んだ松岡外相は
ドイツと戦うソ連の背後を
満州から攻撃すべきだと主張した。
いわゆる 北進論である。
元来 ソ連を仮想敵とする
陸軍参謀本部も これに同調した。
一方 軍政を預かる
陸軍大臣 東條英機は
北進するよりも
フランス領インドシナ南部に
進駐した方が
資源を手に入れられると
主張した。
南部仏印への
南進論である。
これを 油田地帯
オランダ領
東インドへの
足がかりとする
考えだった。
南進には
海軍力を発揮できる
という利点もあった。
経済思想史が専門の
牧野邦昭さん。
牧野さんは 戦時経済の研究から
北進論 南進論を こう分析している。
まず 純粋に
日本経済にとってということですと…
ですので 北に向かったとしても
その手持ちの資源を使うだけの
消耗戦争になるだけ
ということになります。
ですので 北進を反対する人たちは
むしろ ソ連が 独ソ戦によって
脅威が軽減されると。
だから 今のうちに
資源を求めて南に行こうという
積極的な南進論があったわけです。
そして ドイツが もし
ヨーロッパ全体を支配して
フランス オランダ イギリスの植民地も
ドイツのものになってしまう
ということがあると
日本としては 非常に困ると。
だが 南進は大きな危険をはらんでいた。
アメリカ イギリスの反応である。
イギリスのアジアの拠点
シンガポールや
アメリカ領フィリピンを脅かすような
日本軍の進出を
果たして 英米が見過ごすだろうか。
先生 はい お待ち。
うん。
うん? 女将 これは… 鶏か。
申し訳ございません。
とうとう 牛も品切れで。
もう かれこれ 10日になります。
どうりで 店も空いてるわけか。
はい せめて豚でも召し上がって
いただけたらとは思うんですけど。
いやいや それには及ばん。
ダイトーアのキョーエーケンのため
ここは 我慢 辛抱 ツッパリ棒!
いや まあ… うむ。
でもね 女将 中国との戦争を
聖戦と言いかえてみたり
ドイツがヨーロッパで威勢がいいのに
お追従しているだけの軍人たちは
あまりに無知だと思わんかね。
シ~ッ。
先生 そんなこと憲兵に聞かれたら
しょっ引かれちまいますよ。
「余は 武力をもって隣国に侵攻することを
いたく嘆くものなり。
米国よ 速やかに立って
この凶暴なる民族に
改悛の機会を与えしめよ」。
ちと 書き過ぎたか…。
あくまで 外交交渉による
アメリカとの関係改善を目指す近衞首相。
戦略が定まらない軍部。
明確な国策の方針決定が迫られていた。
天皇臨席の御前会議で
日本の方針が決められた。
それは 南方の資源獲得を狙う南進だった。
そのためには
アメリカ
イギリスとの戦争も
辞さないことが
明文化された。
だが その一方で
独ソ戦の展開次第では
ソ連を攻撃する
北進の可能性も残された。
海軍は 南進による
対米戦争の準備にかかる。
一方 陸軍は 東條陸相を説得し
満州に80万を超える兵を集結させた。
戦略は 二兎を追うように見えた。
日米交渉の方針も迷走していた。
アメリカに対して
強気の姿勢を崩さない松岡外相は
対米交渉 打ち切りを主張する。
アメリカは 日本の東亜の指導権を
抹殺しようと考えている。
なんとか話し合いをつけたいと思うが
到底 成功の見込みなし。
アメリカとの交渉に
活路を見いだしたい近衞首相は
ついに 松岡外相の更迭を決めた。
近衞は 一旦 内閣総辞職をして
松岡を放逐し 新たに組閣する策に出た。
内閣総辞職したところで
近衞は変わらず。
まるで八百長のごとし。
果たして こんな方策で
好転するものやら。
ドイツとソ連が戦争を始めたことで
日本は第二の分岐点を迎えました。
この分岐点は7月2日の決定でしたが
決定とはいうものの
北進 南進の両方が決まったのか
ちょっと こう 小谷さん
捉えどころが難しいなと
思うんですけれど。
あの 文書には
北進と南進が併記されてますけれども
これは 南進に重点が置かれています。
だから 南進がメインで 可能性があれば
北進もやるというような意味ですね。
この時点で…
で 明確に…
海軍は 北進しても 軍備の使いみちが
ない上に資源も手に入らないと。
我々は 何があっても
南に行くということを…
これは 松岡外務大臣が 南進すれば必ず
イギリスやアメリカが参戦してくると。
陸海軍は 戦う覚悟があるのか
ということを
問いただしたからなんですよね。
ですので 当時から
みんな分かってたんですよね。
海軍は やる気がないと。
でも 松岡が
あんまり北進を主張するから…
「対英米戦を辞せず」と
書類に書いてしまった。
この意義は非常に大きくて
無謀な選択であるわけですね。
じゃあ 当時の指導者たちは
どう考えていたのかと言うと やはり…
ヨーロッパで ドイツが
イギリスを打倒してくれるだろう。
そうすれば 残ったアメリカは孤立して
もともと孤立主義の強い国なので
日本に対して妥協に転じてくれるだろう。
まあ そういうシナリオというのは
頭の中で作っていて。
で これは
まあ 非常に自分に都合がいい…
ですから
まあ そういうシナリオに乗っかって
ズルズル 事が進んでいるというのが
非常に問題点があるわけですね。
もともとは
レトリックだったと思うんですよね。
なんだけれども
レトリックだったものが
本当になっちゃうっていうことは
ありえるんです。
それを予言の自己成就といって
自分が そう思い込んだ
あるいは
自分が そう言ったことによって
本当になってしまうということが
かなり ありうるんだということが
いろんな行動実験などから
証明されていて
この時も…
これは もう 非常に大きなことだったと
私は思うんです。
もう開戦していいんだということが
御前会議で決まったと。
そうすると 戦争したいと思ってた人が
軍がですね
これは これで行くんだという…
一方 永井荷風という人は
まあ 不平を言いながら
傍観しているんだけれども
日記に こういうことを
書いています。
ですから 荷風の方が
よほど世界情勢を見てるんですね。
そうですね はい。
当時の人たちというのは
情報が統制されていて
何も分からなかったんだみたいな
意見があるんですけれども
そんなことはなくて。
で 荷風よりも
はるかに多くの情報を握っていたはずの
軍や政府の指導者たちが…
こういう
その混乱や迷走している時って
そもそも 何で
こういうことになったんだろうって
考えるべきなんですよね。
だから 我々は エネルギーがなくなれば
国が生きていけないんで
だから あくまでも…
そこのロジックで
いかなきゃいけないのに…
この言葉は やっぱり もう
売られたケンカだから言うとか
説得のための言葉にするには
あまりにも重すぎますよね。
う~ん… いや~ 大きな分岐点に
ここは まさになりますね。
このあと 更に
重大な開戦への分岐点が訪れます。
松岡洋右に代わり
外相に就任したのは
豊田貞次郎海軍大将だった。
豊田は 海軍を動員して
南進した場合
アメリカが
制裁措置として
石油の輸出禁止に
踏み切るのではないか
と案じていた。
当時 日本の石油は 8割以上を
アメリカからの輸入に頼っていた。
もし アメリカからの石油が絶たれたら
日本の備蓄では 3年ももたないことが
確実だった。
しかし 南方の資源地帯である
フランスやオランダの植民地は
本国がドイツに敗れたため
まるで空き家のような状態だった。
南進による石油確保の好機だった。
(一同)万歳! 万歳!
先生 はい お待ち。
うん。
うん? おかみ いつもの豆腐は?
申し訳ございません。
とうとう豆腐も品薄で…。
う~ん…。
お隣なんか 板前さんが召集で
しばらくお休みだそうでござんす。
行き先は やっぱり仏印ですかな。
仏印から蘭印へ進軍だ!
って 専らのうわさざんすね。
フランスもオランダも
ヒトラーがたたきのめしたってんで
今が狙い目なんでござんしょうね。
そうは言っても それじゃあ まるで
空き巣狙いか 火事場泥棒じゃないか。
一気にシンガポールまで行って
イギリスの横っ面
ひっぱたいてやりゃいいんでござんす!
お… 女将…。
「日本軍のなすところは
欧州の戦乱に乗じたる
火事場泥棒に異ならず。
人の弱みにつけ込んで
私欲をたくましくするものにして
仁愛の心
全くなきものなり」。
日本軍は ついに南進を実行し
南部仏印に軍を進めた。
これが重大な結果をもたらすことになる。
日本の動きに危機感を抱いたアメリカは
在米日本資産の凍結に加え
石油禁輸という
強硬措置を決定した。
いよいよアメリカが
日本の前面に立ちはだかったのだ。
近衞首相は 事態の打開に動いた。
ルーズベルト大統領に
メッセージを送り
ハワイでの首脳会談開催を打診したのだ。
国内の対米強硬派を遠ざけ
アメリカが求める中国からの撤兵や
三国同盟問題などについて
妥協案に調印して
即座に天皇の裁可を取り付けようという
もくろみだった。
しかし ハル国務長官が
これに条件を付けた。
首脳会談の前に
三国同盟離脱の可能性など
日米間の懸案に
事前合意する必要があるというのだ。
日本が
太平洋の現状維持という原則を侵し
南部仏印に進駐した
不信感から来るものだった。
日米両国の思惑は 擦れ違い続け
近衞首相は 追い詰められていった。
先生 どうぞ ごゆっくり。
近頃は 刻みタバコまで
なかなかねえ。
ええ。
この2~3日品切れだったのが
やっと手に入ったよ。
何だか うわさじゃ 近々
私らの鍋 釜まで召し上げられるとかで
今のうちに古道具屋に売っ払って
現金にしちまう人まで
いるそうじゃありませんか。
下々の物にまで手を出すようになっちゃ
先が知れるわい。
いいえ これも ご奉公ざんす。
先生の煙管も お気を付けあそばせ。
プフ~。
「日米開戦のうわさ
しきりなり。
新聞紙上の雑説
殊に 陸軍情報局とやらの
暴論のごとき
ばかばかしくて 読むに堪えず」。
第3の分岐点は
7月28日の南部仏印進駐でした。
これによって
アメリカから石油が来なくなるという
結果を生んでしまいました。
一ノ瀬さん。
大変な事態になってきましたね。
そうですね。 なぜ 南部仏印まで
進駐したのか
ということなんですけれども…
もしかしたら 日米交渉を動かす
一種の脅しの意味があったかもしれない。
あくまでも 南部仏印ぐらいまでなら
アメリカもイギリスも黙っているだろう。
そういう…
まあ 日本の指導者たちは
視野が狭いと言うよりは
むしろ 相手のことを考えていないと。
つまり…
そもそも南部仏印進駐っていうのは
日本は資源のために
これ 南進してるわけですよね。
しかし アメリカは
そうは見てくれないんですよ。
アメリカは
日本が南部仏印に進駐したのは
将来的に アメリカ領のフィリピンとか
イギリスのシンガポールをですね
攻撃するためだと。
で 更には 欧州のドイツと連動して
動いてるというふうに見たわけですよ。
まあ 結局…
こうやって 南部仏印の進駐っていうのは
7月28日。
それも 7月2日に決めたことを あそこで
国策要領として決めてるわけですね。
南進か あるいは北進かと。
ですから
それを実施するというようなところが
僕はあるんだろうと思うんですよね。
大政策が決められてると 大方針が。
それを単に実施していくだけだと。
その時に どれだけの反発があって
相手から どういうような格好で
制裁を受けるのかとか
そんなことを…
「何だ!」と。
「ちゃんと もう決めたじゃないか!」と。
私たちの時代に引き当てて考えると
一旦 決まったオリンピックを
中止できるか。
やりました。
ねえ。 もう まさに…
まさに今 私たちも直面していた
問題だったわけですけれども。
やっぱり サンクコストを回収したい
という思いは どなたにもあるでしょうし。
それこそ裁量権のある人も
持っていると思いますし。
二重に苦しいのは やはり
その裁量権のある人が…
ここで中止するのは
どういう評価になるんだろうという
怖さがあるわけですよね。
あのプロスペクト理論っていう
神経経済学の理論がありますけど
勝っている時は慎重にできる。
そうです。 そうです。
で 負けが込むと大胆になるっていう
現象が起きるんですね。
負けが込めば込むほど
俺のひと言で なんとかなるとか
有り金 全部突っ込んじゃうとか
っていうことをするんです。
で 勝っている時ほど
慎重で冷静になって
次に勝てる 必ず勝てる
固い戦略しかやらなくなるんですね。
…と思った方が
いいかもしれないですよね。
先ほど サンクコストっていうお話が
ありましたけど
これ ものすごく重要な概念で。
現在の私たちの目から見ると
アメリカの言うように
中国大陸からサッサと兵を引いて
自由に貿易やればいいじゃないか。
そうすれば
あんな悲惨な戦争が起こって
負けることもなかったと
なるんですけれども。
じゃあ なぜ アメリカに妥協して
中国から兵を引くことが
できないのかというと…
じゃあ アメリカの要求を受け入れて
兵を引くということは
それを全部無駄にしてしまう
捨ててしまうことになってしまう…。
なので
どんどんやることが大胆になっていって。
じゃあ
仏印に進駐すればいいじゃないかとか
何か 武力で脅せばいいじゃないかとか。
そういう変な…
そういう背景が
この動きの中にあるわけです。
さあ 近衞首相は
苦しい立場に立たされて
ルーズベルト大統領との
首脳会談を要請しましたが
薮中さん
その 外交の上で 事前合意なくして
首脳会談が行われることっていうのは
基本的にはないことなんですか。
いや この問題だとね
事務的に詰めるってことは無理です。
だから もう これは 首脳同士でやれと。
米朝首脳会談じゃないですけれどもね。
まあ 出たとこ勝負と。
だって 中国撤兵なんてことを
事前に相手に言ってるってことになると
軍が絶対に黙ってないと。
だから これは唯一 僕は
あったチャンスかもしれないなと
思うんですね。 近衞が行ってですよ。
で その時に
ハルが あんなこと言ってきたところで
あんなの無視すればいいんです。
近衞首相としては
会って 腹を割って話そうぜっていう
感じなんだろうなと思ってるんですよね。
チャーチルとルーズベルトぐらい
仲よかったら ありだと思いますけど。
今まで 全然
人間関係 構築してない人間が
こんな大変な時に 会おうって言ったら
普通は つまり…
アメリカ側は 何の目的で来るか
分かってるわけですよね。
さあ 日本は
ますます苦しい事態に陥りましたが
国民の生活も
厳しいものになっていました。
当時の暮らしは どうだったのか。
そして この先 日本は
どうなると予測されていたのか
ご覧ください。
文豪 永井荷風。
スーツに 下駄履き
手には こうもり傘というスタイルで
東京をかっ歩し
庶民や花柳界の人々を主人公にした
数々の名作を残した。
荷風の遺品の中には
戦前から大切に使われたものが
残されていた。
荷風の孫 永井壮一郎さんは
当時の荷風の暮らしぶりを
伝え聞いている。
蚊を取るお線香を
入れるつぼなんですけども
戦前 仲よくしてた歌舞伎役者の
市川左團次さんって方と
合作で作ったものなので
これは間違いなく
戦前から使ってたものだと思います。
この湯飲みも同じように。
空襲がひどくなってからは
鉄の缶に入れて 杉並の方の
知り合いの家に保管してもらってた…。
さっきの日記なんかは。
お金があっても
前みたいには 自由にものが買えない
お米が買えない 肉が買えないっていう
状況だったんだろうと思いますので
あるものは
大事に使っていたと思いますね。
長引く日中戦争によって
国民生活は 窮乏の一途をたどっていた。
その中で アメリカとの総力戦に
日本は どう備えるのか。
深刻な問題が課せられていた。
陸軍では 昭和14年以来
総力戦に対応するため 軍事だけでなく
経済面での研究も進められていた。
その中心となったのは
満州国の経済政策に深く関わってきた
秋丸次朗主計中佐だった。
第一線の経済学者や官僚たちを集めた
陸軍省戦争経済研究班
いわゆる 秋丸機関は 対米戦争について
どのような分析を行っていたのだろうか。
秋丸機関の調査報告書が
残されている。
「英米合作経済抗戦力調査」
および 「検討表」。
表紙に極秘と書かれた この書類は
昭和16年7月に作られた。
詳細なデータや
多くの図表で表された報告書。
そこに記された
イギリスとアメリカの抗戦力とは こうだ。
イギリスは
海外から工業原料を輸入しているため
それが途絶すれば 弱点になりうる。
しかし アメリカは
イギリスの不足を補って
余りある経済力と
資源を持っているため
英米が合わさると
弱点は解消される。
更に 第三国に
70億ドル相当の
軍事資材が
供給できる
というのだ。
ただし アメリカが
この生産能力を発揮できるまで
1年ないし1年半を要すると分析し
そこが
弱点であるかのように記されている。
この報告を 牧野さんは こう見ている。
強引に解釈すれば…
まあ 陸軍の内部の組織
研究機関ですから
99.9% 無理ですけれども…
そういう書き方に
ならざるをえないっていうことですね。
秋丸次朗 本人の肉声が残されている。
秋丸は
大きな国力差を指導部に訴えたという。
大体…
アメリカの国力が
非常に大きいということ自体は
もう みんな
常識として知っているわけです。
情報が 下の方から
上がってくるわけですけれども
じゃあ この情報を使って…
指導者たちは
秋丸ら専門家たちからの情報と分析を
直視することなく
開戦への道を歩んでいく。
うん?
「愛國」 「御奉公」
「お國のため」…。
フンッ! 何を言いよるか。
兵士人民が ことごとく殉死したら
残るのは老人と女のみになることが
分からんのか。
アメリカと戦って サンフランシスコや
あるいは パナマまで占領しても
何の得るものがあるか。
威勢のいいことばかり言う軍人らも
成金政治家と同じで
自分たちの利益ばかり申しくさって…。
永井荷風も
質素な生活を送っていたようですし
陸軍も力の差を認識していた。
なのに なぜそれを直視できなかったのか。
中野さん いかがですか?
基本的に人間というのは
その集団の意思決定と
個人の意思決定の
板挟み状態なんですよね。
で 軍というのは 集団の意思決定を
重視しないと成立しない。
命令系統に従わない個人というのは
まあ 軍人として
存在する意義がないですよね そもそも。
で そうなると
その中でエリートたる人というのは
命令系統に従う人だということに
なります。
…ものだと
言うことができると思います。
まあ 結局
その日本陸海軍の人々っていうのは
やれと言われたことは
きちっとできるんですけれども
自分の頭で 何か考えたりですね…
答えがあってないような
課題を与えられた時に それが
適切に解けるかどうかっていうのは
これはまた 全く別の能力です。
で 今 21世紀の日本でさえ
そういう教育はされていませんので。
…というと かなり疑わしいと思います。
日本人って
すごいデータが好きなんですよね。
何でもデータで
説明しようとするんですけど…
で それは 逆に
この0.1%に すがる国民でもある。
つまり…
…が まず1個あると思うんですよね。
で その 今の 中野さんの話も含めて
全く そのとおりだと思うのが
クリエーティブなことを
すごい やりなさいって言うくせに
枠出ることが
クリエーティブの第一歩なんですよね。
つまり 完全に
放し飼いにされてしまうので
自分で道開かないと
クリエーティブなことは
できないんですけど
そういう教育は全くしない。
う~ん。
で もう一個 結局 根本的に重要なのは
私は あの日露戦争って
本当に勝ったのかなって
ずっと思っているんですね。
なのに「勝った!」と言ってしまったから
日比谷焼打事件が起きてしまって。
以来 日本は負けない国になってしまう。
まあ 何なら 元寇から
引っ張ってきてもいいんですけど。
延々 日本は必ず勝つ 神の国であると。
ああ~。
だから その ここで…
理性と そのロジックが
突然 こう 反転するっていうのは
何か もう 多分 こう追い詰められると
多分 そっちに行ってる。
説得するために うそのデータを出す
みたいなことを 今でも まあ…。
かなり ありますけれどもね。
あの さまざまな メーカーでやっている
トラブルって
大体 そこが起きているので。
何か やっぱり 全然 学習してない。
薮中さん どう感じますか?
そうですね。
データ 使いやすい いろんなデータを
軍も持っていて。
海軍力で言うとね まあ7割ぐらいだと
いうようなことになればね。
そのぐらいであれば
やって… 勝つか分からないと。
神風が吹くか分からない というような
ことがあるんでしょうね。
そうですね。
例えば 戦争をするにあたって
船の損害というのが
非常に重要になってくるんですね。
南方から 資源 石油などを
運んでくる時も船が重要になる。
当然 アメリカ軍は
日本の船を攻撃してくる。
じゃあ その どれくらい
船が沈むだろうという
シミュレーションを
一生懸命やるんですけれども。
非常に想定が甘い。
明らかに アメリカと戦争をするために
これだけしか 船は
沈みませんということを言うための
シミュレーションっていうのをしている。
ああ~。
ですから まあ
やっぱりデータって非常に怪しくて。
いじろうと思えば
いくらでも いじれるんですよね。
その致命的なのは
当時の日本の組織というのは
データとか情報で
決定する仕組みになってないと。
つまり 当時は いろんな会議
御前会議とか大本営政府連絡会議とか…
つまり 会議で決まったことを
何か不利なデータが
入ってきたからといって
ひっくり返せないんですよね
それを理由に。
なるほど 日本的とも言えますね
それは。 ハハハハ。
昭和16年も いよいよ9月にさしかかり
日本は第4の分岐点を迎えます。
9月に入っても 進展しない対米交渉に
近衞は苦悩していた。
もしも アメリカと戦争になるのなら
敵の軍備が整う前に開戦した方が
有利だとの声が 強まっていた。
対米7割の軍艦を配備できれば
勝算があるという海軍は
この秋に その体制が整うのだった。
そんな情勢下で
またしても分岐点がやって来る。
ひっ迫する情勢への対応を決めるため
この年2度目の 御前会議が開かれた。
提出されたのは あらかじめ
陸海軍で合意された方針だった。
それは 対米交渉の期限を
10月上旬までとし
それまでに妥結の目途が立たなければ
直ちに開戦を決意するというものだった。
天皇は 日米開戦を危惧した。
しかし
立憲君主制をうたう 帝国憲法では
天皇は 国策決定に際して
国務大臣の進言を
受けることとされていた。
天皇は 平和を願った明治天皇の和歌を
読み上げることが 精いっぱいだった。
明治天皇自身も ロシアとの戦争に
極めて消極的だった人なので
昭和天皇も
同じ和歌を読むことによって…
いわゆる平和主義者という
そういう立場からではなくって…
近衞首相や閣僚たちは
日米交渉に望みをかけた。
交渉を進めるためには
アメリカが要求する
中国からの撤兵が必要だった。
しかし ここまで
あまたの犠牲を払ってきた陸軍は
撤兵を断固拒否した。
その急先鋒は 東條陸相だった。
撤兵問題は心臓だ!
中国からの撤兵は 陸軍の
国民からの信頼を
揺るがしかねない問題だった。
しかし 東條ですら
アメリカとの国力差を前に
開戦は避けたいと考えていた。
残るは 海軍の意向だった。
太平洋でアメリカと直接戦う海軍が
勝算はないと 判断すれば
事態は大きく変わるはずだった。
だが 戦争回避を言いだせない海軍は
曖昧な態度をとり続け
10月上旬という外交期限を迎える。
10月16日 万策尽きた近衞首相は
内閣を総辞職させ 政権を投げ出した。
第4の分岐点 9月6日の御前会議で
ついに 日本は交渉期限を
10月上旬までと 決めてしまいました。
真山さん
この交渉期限を決めるという決定は
必要だったんでしょうか。
政治家は何も決めようとしていないのは
まあ どう見ても分かりますよね。
これだから 政治家 特に総理とかに
決断を任せてしまうと
いつまでたっても
ズルズルやるだろうなっていうことで
本当にここで
戦争を決断しましょうという
期限ではなくてですね
腹くくってくれよっていうことだと
思うんですね。
う~ん。
これは 陸軍と海軍の
セクショナリズムの問題があって
陸軍というのは アメリカとの戦争に
責任を負わないんですね。
で 陸軍というのは
じゃあ アメリカと戦争になったら
どうするのかというと
南方の英米の拠点を潰してしまえば
それで終わり。
ええ。
最小限の占領地に置く兵力だけ残して
軍隊を中国大陸から満州
そして ソ連と戦う
そういうことを考えてるんですね。
ですから
非常に強気な態度を一貫してとる。
で 東條も やはり 下からの
突き上げというのが非常に強くて。
今までのような
先送り先送り というのができない
苦しい立場に立っています。
あの そうは言うけれども 東條も本当は
撤兵してもいいんじゃないか
みたいなことは思ってるんですね。
ただ じゃあ…
…可能性があるので
陸軍が考えていることは
何かというと…
そうすれば 国民の恨みは海軍に向かう。
ただ 今更 海軍としても
やっぱりメンツの問題があるので
アメリカとの戦争はできませんとは
言えない。
う~ん。
まあ 海軍の弁護をすると…
ただ 憲法の建て前から言うと…
…だろうっていうことになるんですね。
…というのか
非常に困ったことになってます。
どんどん どんどん 悪い方向に
進んでいく感じがしますけれど。
何で そもそも
10月で切ったかといいますと
これも 陸海軍の作戦部局の間で…
だから逆算して いろいろ準備が
1か月ぐらいかかるから
そうなると 10月までには
戦争するか 外交交渉を続けるか
決めてくれという
ことになっちゃうわけですよ。
陸軍は陸軍で これ今 日中戦争を
実際に戦ってる最中ですから
ほっとくとですね また現地の部隊が
勝手にどんどん 戦争やってですね
戦端を広げていくと。 で 関東軍の方は
対ソ戦をやりたいと言っていると。
ほっとくと また北とか中国の奥地に
どんどん どんどん 進んでいくから
これはもう
なんとかしないといけないと。
で 海軍の方も 早くやってくれないと
ハワイに…
もう ハワイ作戦というのは
この時期 決定していますので
北太平洋の航路が
冬になると しけで悪くなると。
だからこれも
早く決めてくれということで
結局 作戦の都合で 国策を決めてくれとか
外交は10月までにしてくれとか
そういう 何か 本当であれば
上が方針を決めて
下は それに従うはずなのに…
…という よく分からない状況に
なってるわけですね。
さあ この9月6日の決定が
首相の近衞文麿を
辞任に追い込む
原因になりましたけれど。
中野さん
どんなことが見えてきますか ここから。
う~ん あの~
「先延ばし」という人間の振る舞いが
ありますよね。
この先延ばしって
遺伝率が 結構高くて
中程度に高いと
されてるんですけれども
46%なんですね。
割と遺伝的な性質であるとされる。
そうなんですか…。
と 考えると
何か決断力のある人の方が
私たち いいと 考えていますよね。
はい。 けれども遺伝率が
結構 高いということは
先延ばしできる人の方が
生き延びられやすい環境があるんですね。
ああ~!
日本って 先延ばしする人が
結構 生き延びる国なんですよ。
ほう~。
その先延ばしする代表格のような
その国で貴族として
ずっとやって来たような おうちの人が
ここに来て いきなり
決断させられるというのは やっぱり
かなり無理があると思いますし。
そのことと やっぱり欧米が
主体になって進めている
国際社会の文脈と かなり
やっぱり違うわけですよね。
近衞は辞任を余儀なくされましたが
ここに来て 日本は天皇の意思を反映して
次の分岐点へと向かいます。
近衞文麿に代わって首相となったのは
陸軍大臣 東條英機だった。
対米強硬派と目されていた
東條の首相就任に
陸軍の
戦争指導班は
開戦間近と
高揚した。
当時 次期首相は
過去の首相経験者らで構成される
重臣会議で決められ
天皇に上奏されていた。
重臣会議で
東條を首相に推したのは
天皇の側近
内大臣の木戸幸一だった。
木戸は 戦争回避のためにこそ
東條を首相にと考えた。
戦争準備に走る軍部を抑えられるのは
陸軍省をリードしてきた 東條だと
重臣たちに説いたのだ。
東條は 首相就任に際し
木戸から天皇の本意を告げられる。
「9月6日の決定を
白紙に戻し 再検討せよ」。
10月上旬までに
交渉が成立しなければ 開戦する
この決定を考え直し
戦争回避の道を探れというのだ。
首相となった東條は
もはや陸軍の主張のみを
強弁するわけにはいかなかった。
すぐさま東條は 自ら組閣に取り組んだ。
重要閣僚に 開戦慎重派を
入閣させようとしたのである。
東條は慎重派の一人 東郷茂徳を
対米交渉を担当する外務大臣に据えた。
大蔵大臣となる賀屋興宣も
外交交渉の継続と陸海軍統帥部を
東條が抑え込むことを条件に就任した。
東條自身は
総理大臣 陸軍大臣に加えて
警察を管轄する内務大臣も兼任する。
戦争回避となった場合に
対米強硬論者たちが
起こすであろう騒乱を
自らの権限で抑え込む意図だった。
それほどまでに 開戦熱は高まっていた。
なかなか この…
更に そこから広がっていって
よくよく考えてみたらば
ヨーロッパ諸国というのは
この400年の間に
ヨーロッパから
どんどんアジアの方に進出してきて
アジアを植民地にしていると。
同じアジア人の日本が
このままでいていいのかと…
(自転車のベル)
おや 女将 少し早かったかな。
いえね 防空演習だったもんで
その片づけをね。
すぐ済みますから。
水おけと ほうきで 防空演習かね。
ええ
東條さんが総理大臣になったんでね
「もう すぐにでも戦争だ!」ってね。
「アメリカもイギリスもソビエトも
束になって かかってきやがれ
この すっとこどっこいが!」って
みんなで気合い入れてたんでござんす。
確かに ますます盛んに うわさだね。
東條 さっさと進軍だ~!
「日米開戦のうわさ
ますます盛んなり」。
開戦を望む声をよそに
初の閣議後 東條は主要閣僚に
国策再検討を指示した。
戦争回避のため 対米交渉を成立させる
具体的な道を探ろうというのだ。
政府と軍の統帥部で国策を再検討する
大本営政府連絡会議が始まった。
これ以降 国際情勢や戦時経済など
詳細な項目ごとに
政府と軍部との議論が1週間以上続く。
最終判断を迫られた東條。
対米開戦に はやる軍部に加え
反英米の世論が重くのしかかっていた。
近衞文麿のあとを受けて
東條英機が新首相となりました。
この人選 一ノ瀬さんは どう感じますか?
東條は 天皇に対して
非常に忠誠心のあつい人ですから
なんとか天皇の意向に沿おうと
努力をする。
その中で 資料を読んでいくと
東條という人は 何か いつも
何かしらに
おびえていたようなところがあって
陸軍大臣も兼任しているので
陸軍省の会議にも出るんですけれども
そこで憲兵司令官が
「最近 陸軍の高級将校が
東條についていかないという
うわさがあるんです」という
報告をしたところ 東條は顔色を変えて
「それは本当か」と言った うわさがある。
もし アメリカに屈服して
大陸から兵を引いたとして
陸軍が黙っていないと。
東條としては…
同じような分裂というのは
国民の間からも
起こってくるかもしれない。
もしかしたら…
そうなると 日本という国は
もう めちゃくちゃになってしまう。
なので…
やっぱり 非常に
プレッシャーが強かったと思うんですね。
でも その中で 薮中さん
東條は 自分の内閣ですね
外務大臣などを決める時に
開戦慎重派を…。 そうですね。
やはり
戦争回避のために選んでいきますよね。
だから その辺なんかも
東條を選んだね 東條を首相にして
対米最強硬派と見なされた人を
トップにして
それで 対米強硬論を抑えようということ。
外交上はね よく 例えば
ニクソン ゴーズ トゥー チャイナと。
あのタカ派のニクソンがね
共産政権の中華人民共和国
これとの国交をやるんだと言ったら
まあ 強硬派も しかたがないかなと
みんな思ったというのが
ニクソンがね 中国へ行ったと。
はい。
ただ 難しいのは
正直に 例えば国民にですね…
う~ん。
伝えられないわけですね。
だから 非常に損な 難しい役回りを
負わされたなという気がしますですね。
う~ん。
そして やはり 東條が首相になることで
世論も 「これは もう戦争だ~!」
っていう気持ちが
高まってしまいますよね。
まあ 日本は 満州事変以降ですね
新聞が戦争について書くと
新聞の発行部数が上がり
世論は高揚するということが
繰り返されてきたわけですね。
しかも この時期 東條以前からですね
松岡にしても 近衞にしてもですね…
当時の東條のもとには
開戦までに 3, 000通ものですね
戦争を訴える葉書が 連日 投稿されて
早くやってしまえ
というようなことをですね
東條に対する突き上げとして
プレッシャーがかかっていた
ということになります。
やっぱり民意を無視してまでですね
アメリカに妥協できるのかというと
これは 相当 難しい問題になってくると
思います。
それと あと やっぱり
楽になりたいと思っているのは
東條だけじゃなくて
当時の一般国民も そうだったと思う。
もう どっちでもいいから
早く決めてもらいたいと。
こんな生殺しみたいな状態は嫌で
負けるかもしれないけれども
一か八か やってくれと。
東條に対する期待っていうのは
そういう捨てばちな気分も
どこかにあったんじゃないですかね。
ですから もう これだけ世論が熱して
さっきのビデオでもですよ
女将さんが
「さあ 東條 さっさと進軍だ!」と
これが世論の代表のような声だとすれば
そこで冷静に
いやいや そうは言っても
なんとか 外交 開戦を避けるために
というのは非常に難しいですよね。
それだけ…
…という感じに
置かれていたと思いますね。
だから 早く楽にしてくれというのは
そういうことなんでしょうね。
どれだけ交渉力があっても
ここまで来てしまったら
ちょっと できない。
ええ 交渉力の中にはですね
もう ド~ンと
相手に譲らなきゃいけない中身が
もう必要になってたわけですよね。
それは とても 国内で もらえない。
だから 交渉もできないと。
そういう状況だと思いますですね。
あの 中野さん 反英米に対する価値観
もう そこが完全に敵になってしまう
感じに 世論がなっていきますよね。
そうですね。 コンフリクトセオリーという
理論があるんですけども
もともとは同じだった集団を
2つの集団に分けて
互いを対立させるのって
5日あれば 十分なんですね。
へえ~。
それぐらい…
それぐらいのものなので
もう本当に 為政者としては
あおると やっぱり 自分たちの立場は
担保されるかもしれないけども
短期的にはよくても 長期的に見たら
非常に その形で
国を維持していくというのは
大変なことなんだということを
心に留めておかなければならない。
そういうところを 本当に 知っておいて
ほしいなと思うんですけれども
残念ながら この時代は
そういうところにいる人が少ないですね。
でも それって
とっても怖いなと思うんですけれど
何か あたかも自分たちが
正義みたいになってしまいますよね。
まあ あたかもというか 中にいる人たちは
自分たちを正義だと信じているんですね。
今 正義の話 出ましたけど…
もともと
空気を読むことを奨励する国ですから
分かりやすい例を言うと
コロナで自粛警察が出てきましたよね。
自粛しましょうって
何の命令もないんですけど
自粛を守らない人を許せないっていう
あの発想って まさに
世論と正義が1つ
民意と正義が1つになるんですけど
正義に至るまでは 冷静なんですよ。
そこに 妙な圧がかかった瞬間に…
だから それに
そうじゃないんだよということをね
世論に あるいは
国民に説得するというのは
大変難しいですよ そういう時には。
だから そういう世論の中での
これから 東郷 外交をやるわけですけど
非常に限界があるっていうことだと
思いますですね。
戦争を求める声が大きくなる中
東條首相たちは
5番目の分岐点を迎えます。
この日の大本営政府連絡会議で
東條は 出席者たちに
3つの選択肢を示した。
東條の提案は各部局に持ち帰られ
丸一日かけて検討された。
いよいよ最後の会議の前夜
陸軍 戦争指導班の日誌には
こう記された。
「まさに嵐の前夜
戦争か平和か
最後の決は
明日において判明すべし」。
午前9時。
東條は この日を最後とする決意で
会議に臨んだ。
東條首相が提案した選択肢を巡り
陸海軍統帥部と東郷外相 賀屋蔵相は
激しく対立した。
自分は…
3つの選択肢から
陸海軍統帥部は
第2案
「直ちに開戦」を支持した。
いろいろ不確定な要素が
あるわけですけれども
その当時 唯一 確実に言えるのは
日本に石油が入ってこなければ
このまま 2~3年後には
石油がなくなることです。
それは 石油備蓄量と
消費量の統計から計算して
確実に言えるわけです。
そうすると 確実な損失を回避すると。
すると 僅かな可能性…
そういったことが
経済学や心理学でも いわれています。
統帥部の主張に対し 東郷外相は…。
東郷外相 賀屋蔵相は
第3案の外交交渉継続を訴えた。
…っていう そういう前提で
やっているんですよね。
だから
臥薪嘗胆ということをするまでもなく
専ら…
日本側が やりませんというふうに
決めればいいじゃないですか
っていう意味での
開戦回避論なんですよね。
天皇の開戦回避の意向を
重く受け止めていた東條も
第3案にくみし
統帥部を説得にかかった。
説得の末 統帥部は折れ
戦争決意の下で
外交を継続することが決まった。
交渉期限は 12月1日 午前0時。
ここで 交渉条件について
東郷外相が新たな提案をした。
それは アメリカに石油の輸出と
資産凍結解除を求めるため
日本軍が
南部仏印から撤兵するというものだった。
軍部は これに強く反発したが
日中間の和平交渉にアメリカが介入しない
という条件を付け加え
東郷の提案を認めた。
アメリカの原則に反する条項を
加えることで
提案を骨抜きにする
ねらいだった。
外交交渉の継続は決まったものの
その前途は多難だった。
(下駄の音)
おや。
品切れにて お休み…。
軍人政府のやつらめ
国民を3度の飯にも困らせおって。
うん?
灯火管制か。
(下駄の音)
東條首相が提示した3つの案から
戦争決意の下
外交を継続 が選ばれました。
一ノ瀬さん どのように考えますか?
はい。
結果から言うと 臥薪嘗胆というのが
一番の策であったと思います。
ただ ここで注目したいのは
東郷や賀屋でさえ
この臥薪嘗胆を選んではいない。
なぜ そうなのかということに
注目する必要がある。
それは やっぱり
一つは国民意識の問題があって
持てる国である英米が
きれい事を 弱い国 日本に押しつけて
自分たちの政治を通そうとしている。
そんな…
じゃあ そんな中で 到底
アメリカに屈服というのはできないと
誰しもが考えている。
1つ譲れば
また1つ譲らないといけなくなって
満州国も朝鮮も台湾も
譲らないといけなくなるんじゃないか。
それは 明治時代から
偉大な日本人が積み重ねてきた成果を
全て無にするものである。
それだけはできないという
そういう考え方というのが
ものすごく強いんですね。
ただ やっぱり
ちょっと言っておきたいのは
何か 国民世論が強硬だから
近衞や東條たちが引きずられている
みたいな感じになっていますけれども
もともとは そういう…
そこは やっぱり ちょっと はっきり
させておく必要があると思います。
私も あと知恵的に言えば 臥薪嘗胆策が
一番よかったんじゃないか
というふうに思いますけれども
結局…
しかも 海軍は 今が一番戦力が充実して
要は
対米7割を実現しているということで
やるなら もう 今しかないという態度
というのは
まあ 軍人としては自然だったかなと
思いますけどね。
今 本当に困っていて ますます
悪くなると。 石油がなくなってと。
そこで臥薪嘗胆と言われても
これは無理だよねっていうのは
多分 常識的な判断。
でも 一応
これを置いといたってだけであって
これが最善の策だとは
彼も思ってなかったんだろうと
思いますけどもね。
一応 置いといたとすると
そこには どういう その思惑が…?
3つぐらい案をね 出して
第3案にいくと。
そのためには 第1案と第2案と…
第2案は 戦争ですよね。
それで自然の流れとして
第3案に持っていくために
だから 第2案を消すためにも
第1案 臥薪嘗胆 第2案 開戦。
だから 第3案で…
そうですね だから東條が
一番 やらないといけないのは
要は…
で 割れるのが 一番よくなくて
結局 9月6日の御前会議で
天皇が不快感を示したのは
統帥部と政府が
全然 一致していないじゃないかと。
言っていることが バラバラじゃないかと。
これだと やっぱり 国としては
国策は決められませんね ということを
天皇は 遠回しに歌で表現したんですよ。
だから
東條は 一番やっちゃいけないのは…
何か向いている先が違いますね。
(笑い声)
で 結果
交渉にかける東郷外相が出した案は
外交上 有効な案だったと思いますか?
いわゆる交換条件ですよね。
イーブンなら ありなんですけど
薮中さん どうなんですか?
やっぱり 日本って 常に交渉相手は
対等だと思って 交渉するんですか?
まあね そこは だから
その時々に置かれた状況ですけど
これは もう明らかに 一番よく言われる…
要するに 時計の針を7月に戻しましょう
ということで
侵攻していったやつは 引き戻しますよと。
そのかわり 石油の禁輸は
やめてくださいよ ということですけど
これを 今やったところで
もう そんな事態じゃないよね
そのタイミングじゃないよね
ということになるので…
ただ なぜ それじゃあね ある程度
外交の本当のプロのはずの東郷が
そう言わざるをえなかったのかというのが
問題なんでしょうね。
それは Too Little でも
本当は…
でも それは とてもじゃないけれども
今の この国内の状況から
陸軍との関係から言っても
自分の交渉材料としては
もらえないだろうと。
だから ここなら どうかと。
これで 1回やらせてくれと。
駄目もとに近いようなことだったと
思いますけれども
しかし やっぱり 1回やらせてほしいと。
こんな小さくて遅くてと。
う~ん。
いよいよ 日本は
厳しい状況に追い込まれましたが
11月末まで まだ分岐点がありました。
11月半ば
アメリカとの外交交渉が難航する中
国内で ひそかに
戦争回避に向けての動きがあった。
その中心にいたのは
元駐英大使で 戦後に首相を務める
吉田 茂。
吉田は
元外相 幣原喜重郎の指示で
あるアイデアを実現しようと
画策していた。
それは 元首相ら重臣たちを
御前会議に出席させ
その場で開戦を否決させる
というものだった。
これまで 重要な国の方針決定に
関わってきた重臣たちに期待したのだ。
重臣という
憲法に制度上 認められていないような…
それ自身は 意思決定として
非常に 重い実効性のあるものに
なりうるはずだったんですけども。
奇策ではありましたけれども
そういうことを試みたということですね。
吉田の案を木戸から聞いた天皇は
重臣たちを
御前会議に出席させることを
東條に提案した。
しかし 東條は
法的な責任を負わない重臣を
審議に参加させることに反対した。
これに 天皇は引き下がらず
結局 3日後の29日
宮中に重臣たちを集め
政府が これまでの経緯を説明したあと
意見交換することが決まった。
だが天皇が東條と話し合った翌日
アメリカから衝撃の文書が届いた。
通称「ハル・ノート」と呼ばれる
ハル国務長官が提示した覚書である。
そこに記されていたのは
大陸からの全面撤兵 三国同盟離脱など
アメリカが求め続けてきた原則論だった。
日本にとっては
半年以上続けてきた外交交渉を
全て否定されたようなものだった。
東條首相はじめ政府首脳と統帥部は
これを最後通ちょうと受け止め
対米開戦を決意した。
「ハル・ノート」が届いた2日後
宮中に 重臣と呼ばれた
8人の元首相たちが参集し
政府からの説明会が開かれた。
席上 東條は 1時間以上しゃべり続けた。
開戦慎重派だった東郷外相も
「ハル・ノート」に覚悟を決めたのか
50分にわたり日米交渉の困難を語った。
その後 天皇が重臣の意見を聴取した。
重臣からは 開戦への危惧が漏れた。
しかし 重臣たちの意見に
東條首相は ことごとく反ばくし
誰一人 強硬に戦争回避を訴える重臣は
いなかった。
戦争回避への最後の一手も
不発に終わった。
そして 昭和16年12月1日。
御前会議で
日本は 対米戦争開戦を決定した。
(ラジオ)「臨時ニュースを申し上げます。
大本営陸海軍部 12月8日午前6時発表。
帝国陸海軍は 本8日未明
西太平洋において アメリカ イギリス軍と
戦闘状態に入れり」。
♬~
ついに始まったか…。
ついに 始めてしまったのか。
「屠れ! 英米 われらの敵だ」。
「進め一億 火の玉だ」。
ふんっ! 何でも 「だぁ だぁ」言いよって。
それも言うなら
「むかし英米我等の師
困る億兆 火の車」であろう。
通り… 抜けられなかったか。
日本は とうとう開戦してしまいますが
ぎりぎりまで戦争回避の動きが
実はあったんですね。
真山さんは この分岐点について
どのように感じますか?
遅過ぎですよね。 やるとしても。
決められない仕組みの中で
唯一方法があるとすると
御前会議で 天皇の意向を使う
ということは
なんとかして 東條を指名してって
やっているじゃないですか。
こういう時って…
だから もし この首相経験者を
御前に呼ぶんであれば
東條を決めた時に 本音は こうなんだ
っていうのを もしできたら
いろんなところに
大きな声では言えないけど
陛下は 戦争をやりたくないために
東條を選んだんだ。
だから ひとつ
あなたたちも分かりなさいみたいな…。
難しいですよ。
難しいですけど ぐらいやらないと
このタイミングで もう本当に…
この時には
「ハル・ノート」が来ていたので
開戦慎重派だった東郷外相も
この時点では もう打つ手なし
というふうに感じていたんでしょうか?
日本は
なんとか アメリカの言っていることに
いろんな条件を出して
少しずつ…
ところが アメリカ側は 何も日本の
立場を考慮してくれないということで
これはある意味 アメリカ側にも
私 問題があったように思います。
つまりアメリカは 結局
日本と交渉していながら
日本の立場を
全く理解していないということで
アメリカも 結局…
今回は 永井荷風の日記をもとに
市井の人々の暮らしぶりを
アニメーションで
表現してきましたけれど
一ノ瀬さん どのように感じましたか?
はい。
改めて この「断腸亭日乗」を
読み返したんですけれども
やはり 永井荷風という人は
ただ者ではないと思いました。
というのは 荷風の日記の
9月6日なんですけれども
こんなことを書いています。
「米国と砲火を交えたとして
何の得るところもない。
あるとすれば 日本人が
デモクラシーの真の意義を
理解する機会を
持つことであろう」
と書いています。
この戦争をやったら
どうなるかというと
日本人がアメリカ流のデモクラシーに
触れる機会となるだろう。
実際の歴史の結果から見ても
日本は敗戦して
アメリカの占領改革を経て
現在のような民主主義国家に
なっているわけです。
荷風は
そのことを どこかで予見していた。
非常に 先が見える人だったんだなと
思って
その辺りが
やはり ただ者ではないなと思いました。
昭和16年 日本が
アメリカとの戦争に至る道のりを
6つの分岐点を中心に
今回は 見てきました。
結果的に
開戦を迎えてしまったわけですけれど
どんな選択をすれば
戦争回避が可能だったと考えますか?
戦争を回避したいっていう思いがあった…
僅かでもあったのだとしたら
敵は 英米だと
思っているかもしれないけど…
自分たちにテクノロジーがなかったり
そういうことによって
貧困を被っていると。
それが 本当の敵であって
そこに向かって戦うことが
我々の富であると。
豊かさであり利益であるということを
示せる誰かが
もっと声を上げていたら
違ったかもしれない。
今 おっしゃったことって
非常に重要で
やはり なぜ大陸駐兵に
これだけ こだわるかというと
昭和初期の貧困
不況による ものすごい貧困ですよね。
その意味で
貧困と 今おっしゃったのは
なぜ戦争になったのか
ということを考える上で
非常に重要な問題だなと思います。
80年と 今日 こういう話でですね…
前に開戦をしたと。 今 どうなんだと。
僕は ここは基本的に もう一度…
そのためには
もう防衛力の整備も いいけれども
同時に外交をですね きちんと
やってもらわなきゃいけないな
というのを この機会に思いますですね。
小谷さんは いかがですか?
今日の議論を通じて 私が感じたのは…
いろんな やっぱり
戦前に通ずる問題もあって
それが 今 我々が直面してる解き難い
いろんな問題に関係していると。
こういうのは やっぱり 歴史から学んで
今後 どうしていくかというのを
我々自身で考えていかないといけないかな
というふうに思いました。
一ノ瀬さんは
どのようなことを感じましたか?
日米交渉というのは
アメリカの原則に対して
日本が対抗できるような原則を
持てなかった。
国力の差があると言うけれども
それ以前に やはり…
じゃあ 戦後の我々は
その原理原則を どこに求めるか。
先ほどおっしゃった…
そのことを考えないといけないな
というのが 一つと
やはり もう一つは
言論の自由の問題ですね。
荷風のような人が 自分の意見を
抵抗なく 世の中に
物申せるようにしないといけない。
言論の自由の原則というのは
これ 非常に大事だなと思いました。
ちょっと デリケートな話なんですけど
何か こう 戦争を始めてしまって
ここまで もう大敗してしまった…
これ どこかのタイミングで
戦争をやめてしまって 交渉すると
多分 日本軍は残っていたと思いますし
多分戦後の いわゆる日本の在り方
というのがですね
全然違う歴史になっていた。
で 私は
昭和30年代の生まれですけど
やっぱり 親の世代は
負けて よかったんだと
よく よく話しされました。
つまり これくらい負けたことによって
我々は もう戦争したくないんだって
本当思っていると。
まあ もう焦土と化したわけですから
日本列島が。
戦争をやって よかったなんていうことを
言う気は ないんですけれども
何か もっと戦争に対して 今から
戦争を見るみたいな目を持たないと
単なるゲームに終わるのが
すごい嫌だなって
今日 ずっと皆さんのお話聞いていて
思いました。
いや 本当に 開戦から80年という節目で
この今回のテーマを選びましたけれど
80年って 全然遠くない
全く遠くない歴史だなって
思うんですよね。
実は 昨日のことのような近さ。
で ここを近いって感じた方がいいな
と思って。
私たち 一人一人の選択が
結果的に
こういう過ちを起こす可能性がある
というところまで真剣に考えないと
本当に平和だったり豊かな国には
ならないんじゃないかなって
とても思いましたね。
皆さん 本日は ありがとうございました。
ありがとうございました。
♬~
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