出典:EPGの番組情報

NHK地域局発 ラウンドちゅうごく▽悲しみから逃げない~没後70年原民喜の言葉[字]

作家、原民喜を知っていますか?彼の作品「鎮魂歌」が、今、静かな注目と共感を集めています。悲しみに、あえて真正面から向き合うこの作品の、不思議な力をお伝えします。

番組内容
「自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためだけに生きよ」そんな独特のフレーズが繰り返される作品があります。広島出身の作家・原民喜が書いた「鎮魂歌」。広島での被爆体験をつづったこの作品が今、静かな注目を集めています。詩のようでもあり、小説のようでもあるこの不思議な作品を、作家の又吉直樹、梯久美子、平野啓一郎が読み解きます。何かと不安の多い今、あなたの心に刺さる言葉が見つかるかもしれませんよ。
出演者
【ゲスト】又吉直樹,梯久美子,平野啓一郎,【朗読】橋本愛,【ナレーション】出山知樹
キーワード1
原民喜
キーワード2
鎮魂歌

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸

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  17. 被爆
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  20. 意味

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

NHK
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岩渕≫水野倫之解説委員でした。
次回の「みみより!くらし解説」

テーマは、こちらです。

<今 僕が読んでいるのは
広島ゆかりの ちょっと変わった作品。

名前は「鎮魂歌」>

すごい不思議な作品だなと思って
あまりにも言葉が強かったりするから。

尊敬と ある種の恐ろしさ
みたいなものも感じますね。

<書いたのは
広島出身の原 民喜という作家。

彼の隠れた作品「鎮魂歌」。

なぜか最近
静かな注目を集めているらしいです>

<決して明るい作品ではないけれど

だからこそ 今のあなたに刺さる言葉が
見つかるかもしれませんよ>

原 民喜は
広島市出身の作家。

広島で原爆に遭った直後

その体験を代表作「夏の花」などに
残しました。

被爆したあと 民喜は東京に移り住みます。

「鎮魂歌」を発表したのは
原爆投下の4年後 1949年のことでした。

<表玄関 東京駅の化粧替え…>

その当時の東京は 復興に向かって
猛然と進んでいた時代。

周りが「前へ前へ」と突き進む中

被爆体験が忘れられない民喜は
孤立してしまいます。

疎外感の中 民喜は
胸の内を 詩とも小説とも言える

独特のスタイルで表現しました。

「鎮魂歌」の主人公は 原爆を体験した「僕」。

僕は繰り返し
自分に こう言い聞かせます。

物語の冒頭 僕は「原子爆弾記念館」
という建物に立ち寄ります。

そこで係員から
奇妙なマスクをかぶせられます。

原爆投下の瞬間が再現されるという
マスクでした。

あの日の光景がよみがえりました。

僕は動転し マスクを外します。

しかし 外したあとも

原爆犠牲者たちの声が
次々と聞こえてくるようになります。

死者の記憶が忘れられない 僕。

そんな自分が生きる意味を考え続け
ある結論に至ります。

自分の役割は 死者たちの嘆きを
聞きつづけることだと決意し

作品は終わります。

今回 初めて原 民喜の「鎮魂歌」
読ませてもらったんですけど

普通の言葉遣いでは
言語化できない感覚を

なんとか言葉にしてるような
印象を受けて

そういう意味で言うと
すごく詩に近いなと思ったんですよね。

実は この作品は発表された時は
あんま評判よくなかったんですね。

ちょっと評論…
評が出てるんですけれども

「気持ちは分かるけど
何言ってるか分かんないんだよね」

みたいな そういう感じの。
だから 小説として読むと

物語にもなってないですし
非常に読みづらいんだけれども…

作品もそうですけど
原 民喜っていう その作家自身に

すごい興味が湧くというか。

本当に引っ込み思案で
いいとこのお坊ちゃんなんですけれども

中学校 旧制中学ですけれども
…の友達が 入学してから4年間

学校の人が
クラスメート 先生も含めて一人も

原 民喜がしゃべる声を聞いたことがない
っていう

そういうエピソードがありまして。

中学1年の時 僕もクラスメートに
声聞いたことないって言われてました。

そうなんですか。

無口な人って めちゃくちゃ

頭の中で しゃべってるケースが
多いと思うんですよ。

何か 考えてることはいっぱいあって
誰かに質問をされたり

みんなが話してる声を聞きながら
自分だったら何て言おうとか

どう答えようって思ってる声が
複数あって

この 一個しかない出口から出ていかない。

何となくイメージはあるけど 言葉として
それをつかんでいけないから…

やっぱり これ
実際に原爆に遭遇してから

4年とかいう時間がたってから
書かれてますよね。

だから その時間ず~っと頭の中に
あったものなんだと思うんですよね。

だから その間に自分の経験と ちょっと
他者の経験も一緒になったというか。

何か 他者の苦しみも
あと死んだ人の苦しみも

自分の中を通して語ろうとしたんじゃ
ないかなと思っていて

それには それだけの時間が
必要だったのかもしれない

っていう感じがします。
そうですよね。 何か

作家としての使命みたいなものが
あったんでしょうね。

そうですね。

今 「鎮魂歌」は東日本大震災で
被災した人にも読まれています。

福島市に住む…

原爆の記憶と向き合い続けた民喜に
感銘を受けた澤さん。

震災から10年たった今も
その影響に目を向け続けています。

今年初めに起きた地震で
書斎は今も散乱したまま。

この10年 澤さんは

毎日 震災に関係する報道を
集め続けています。

くみ上げ 浄化した地下水757トンを
海へ流したって書いてある。

震災後の今の状況は 民喜が
戦後 「鎮魂歌」を書いた時と

重なる部分があると 澤さんは言います。

震災のあと 学生時代に読んだ「鎮魂歌」を
改めて読んだ澤さん。

特に心を打たれたのが
自分も原爆に遭っているのに…

「鎮魂歌」を読んで以降 澤さんは

ほかの人の悲しみにも向き合おうと
考えるようになりました。

どうも。
どうも いらっしゃい。

同じく被災した友人を訪ね

今なお抱え続ける思いに
耳を傾けています。

震災まで 40年間 牧場を営んでいた…

家には 牧場の思い出を描いた絵を
飾っています。

菅野さんは この牧場を
「ついの住みか」にするつもりでした。

しかし 原発事故で放射線量が高くなり
諦めざるをえませんでした。

澤さんは これからも

震災の悲しみと共に
生きていきたいと考えています。

芥川賞作家の平野啓一郎さんも
「鎮魂歌」の愛読者です。

戦後の復興ムードに染まらない
民喜の心境が読み取れるといいます。

「鎮魂歌」は 現在を生きる
ヒントにもなるといいます。

平野さんがおっしゃってた

大きな出来事を簡単に終わらせられない
悲惨な体験をした人たちの

テキストになるっていうのは
すごい分かるなと思って。

確かに時間は進んでいくし

じゃあ 「もう復興するべきだ
頑張ろうぜ」って言って

どんどん 働いて
世の中をよくしていくっていうのは

すごい大切なことやと思いますし
それはそれで覚悟がいることやし

そういう人たちを
僕は尊敬もするんですけど

一方で そうなれない人たちっていうのは
時代によっては …とか 現代でも

何か 批判的に言われることも
あると思うんですよ。

…っていうふうに言われる中で
そういう人たちの受け皿っていうのは

どこにあるんやってなった時に
一つ この文学。

原 民喜が書いた「鎮魂歌」は
その受け皿になってるんじゃないかって。

だから やっぱり今の震災後の
10年たって

これだけ苦しいことを
苦しいって言ってもいいとか

あと 亡くなった人のことはね
ず~っと忘れないで その人の声を

もう みんな聞き続けていいんだよ
っていうふうなメッセージとして

受け止められているんじゃないですかね。

人それぞれ やっぱりスピードというか
速度があるんで…

私は 原さんの評伝を書いたんですが
やっぱ反響ありまして

何かこう よく分からないけど
胸に迫ってくるとか…

あと ずっと嘆いているって
それでもいいんだみたいな感じの

感想ですかね 何かね。

何か 強くなければいけないとかね

そういうとこから解放させてくれる
っていうのもありますよね。

戦後も 亡くなった人たちの嘆きを
聞き続けた原 民喜。

その原動力になっていたのは 「一つの死」。

身近な愛する人を亡くした体験です。

民喜は 被爆の1年前に
妻 貞恵を亡くしていました。

民喜が28歳の時に お見合い結婚。

作家としての才能を誰よりも信じ
力強く支えてくれた妻でした。

しかし…

その翌年 原爆が投下され

民喜は 爆心地近くで被爆しました。

無数の人間が
無残に死んでいく光景を目撃。

妻と全く違う死の姿に 驚がくします。

最愛の妻の死という 「一つの嘆き」。

それと同じ重さで

原爆で亡くなった「無数の嘆き」を
とらえようと決意しました。

死者たちの声を「鎮魂歌」で伝えた民喜。

発表から2年後 自ら命を絶ちました。

作家の平野啓一郎さんは
原爆の犠牲者と向き合った民喜の死に

複雑な感情を抱くと言います。

民喜は自分で死を選んでしまうんですね。

何か その~ 今日
ずっと お話ししてきましたけど

平野さんも
VTRでおっしゃってましたけど

みんなの死を
請け負ってしまったっていうね。

そうだと思いますね。 だから
もう 死者の側に立つっていうか。

僕は何か 小説書く時に
初めて書く時 2作目までは

自分が東京に住んでて
一番しんどかった街…。

一番しんどかった街の行きたくもない街。

行くだけで憂鬱になる街の
一番嫌な場所にアパート借りて

やったんですけど しんどかったんですよ。

何か それを
ずっとやってたんかなと思って。
ああ~。

多分 一番大切な人が亡くなって
そのことと向き合ってるさなかに

その広島での体験があって
っていうことに…

悲しみに向かい合い続けるとか

本当は忘れたいものを
ず~っと見続けるって

やっぱ 相当強くないと
できないですよね。

何かね う~ん… 場合によっては

一旦 自分のために考えないようにしよう
っていうことも

多分 人は必要やと思うんですよ。

でも 作家として原 民喜は
それができなかったんでしょうね。

何か 純粋な魂やなって思いますね。

これは誰も邪魔できひんやろな。

何か それじゃないでって
誰も言うことができひんっていう。

もっと うまいやり方があるよとか
言えない。

言うのが何か 惨めになるというか
それぐらい強いものやなと思いましたね。

特に今 読まれてるっていうのにも
すごく納得できる作品でした。

ありがとうございました。
どうも ありがとうございました。

いや~ すごい
読めてよかったです。

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