学校に通わずに性格も捻くれていた1人の少女がいた。
その少女の祖母・幸子は少女に学校に行くよう必死に説得するも、彼女は必死に拒否する。そこで、幸子は自身が生まれた頃、沖縄は戦争で多くの人が犠牲になった事を教え、自身の父親、すなわち少女の曽祖父もその1人だった事を語り始める。

時はさかのぼり1944年(昭和19年)、太平洋戦争真っ最中の沖縄・那覇で小さな写真館を営む平山幸一は、妻の美知子と、小学校教師の紀子との結婚が決まった長男・勇、次男・昇、三男・健、長女・美枝、次女・春子ら5人の子供に恵まれた家庭で平穏な日々を過ごしていた。そんな中、美知子のお腹には6人目の命が宿っていた。

しかし、1944年6月、サイパンの日本軍が玉砕した後、アメリカ軍の沖縄上陸が現実味を帯びることとなり、平山家にも戦争という悲劇を味わうことになる。まず、勇に召集令状が届き、昇は通信兵に志願、美枝も従軍看護師として野戦病院に派遣される。そして、戦況がさらに悪化し、幸一にも召集令状が届く。

幸一は戦っている間もカメラを手放さず、上官や同僚をからかったり、ギャグを発しては笑わせて写真を撮っていた。

戦争という最悪な状況の中、子供たちの手助けもあって美知子は無事に第6子(幸子)を産む事が出来た。

そして、1945年8月に終戦。美知子らのもとにアメリカ兵が来て、幸一が亡くなった事を告げられ、幸一の遺品のであるカメラが渡された。そのカメラの中には兵隊らの笑顔の写真がたくさん入っており、「幸一がいたからこそ、戦争中でも皆が笑っていられた」という事を実感した美知子と美枝は泣き崩れ、そんな彼女らの元に昇からの遺書が届けられたのだった。

再び2003年、祖母の話を聞き終えて「自分は58年前と違って、平和な世の中を生きている」という事を実感した少女は改心し、学校に復学する事を決意する。そして、天国にいる曽祖父に向けて成長した祖母・幸子と携帯電話で写真を撮るのだった。

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