出典:EPGの番組情報
こころの時代~宗教・人生~「わたしの言葉で語るお経~詩人 伊藤比呂美」[字]
女の生き様をつづった詩やエッセイで知られる伊藤比呂美さん。10年取り組んできたのが、般若心経や法華経など“お経”の現代語訳。詩人が体感したお経の世界をひもとく。
詳細情報
番組内容
詩人の伊藤比呂美さんは、20代で詩人としてデビュー。セックス、子育て、離婚、介護、看取りなど、女としてのあらゆる経験を詩やエッセイで言葉にしてきた。そんな伊藤さんが10年以上取り組んできたのが、仏教の経典などの現代語訳。般若心経や法華経など心惹かれたお経を一語一語、自分の言葉でとらえなおし、わかりやすい現代の言葉で表現してきた。現代語のお経の数々の朗読とともに、生と死、そして自らの人生を見つめる。
出演者
【出演】詩人…伊藤比呂美ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
福祉 – 社会福祉
テキストマイニング結果
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キーワード出現数ベスト20
- 自分
- 言葉
- 伊藤
- お経
- カノコ
- 世界
- 道行
- 場所
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- 毎日
- プロセス
- 現代語訳
- 意味
- 詩人
- 相手
- 表現
- 仏教
- 翻訳
- 経験
- ダメ
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
「六か月経って カノコは歯が生えて
乳首に噛みつき乳首を噛み切りたい
いつも噛み切る隙をねらっている
カノコはわたしの時間を食い
カノコはわたしの養分をかすめ
カノコはわたしの食欲を脅かし
カノコはわたしの髪の毛を抜き
カノコはわたしにすべてのカノコの
糞のしまつを強要しました
カノコを捨てたい カノコを捨てたい
汚いカノコを捨てたい
乳首を噛み切るカノコを捨てるか
殺すかしたい
カノコがわたしの血を流すまえに
捨てるか殺すかしたい
私は嬰児殺ししたことがあります」。
その詩人は いつも
ボロボロになりながら
自分の心の奥底にある叫びを
言葉にしてきた。
この夏 詩を書き始めたばかりの
学生たちに伝えたのは
自分自身を 言葉で掘り下げていくことの
大切さだった。
言葉遊びでもって 詩に作っていくことも
できる それも詩なんだ。
でも 私が来たのは
そのぬかるみの「どこまで続く
ぬかるみぞ」の道だったんで
続く人は どうぞ…。
伊藤比呂美さんは
20代で詩人としてデビュー。
セックス 子育て 離婚 介護
女としての葛藤に満ちた経験を
詩やエッセーの形で言葉にしてきた。
そんな伊藤さんが
50代を迎える頃から取り組んできたのが
仏教の経典 お経の現代語訳。
一語一語 自分の体を通した言葉で
捉え直し 声に出して表現する。
「人が生きる。
『何も知らない』から『老いて死ぬ』まで
いろいろのプロセスがつながっていく。
それを生きる。
それがいちいち苦をうみだす。
でも。 『何も知らない』は無いのだった。
『何も知らない』は無い も無いのだった。
それからつながるプロセスも
いちいち無いのだし
『老いる死ぬる』も無いのだった。
『老いる死ぬる』は無い も無いのだった。
ああ 苦しい。
苦しみの原因があるから
こんなに苦しいのだ。
でもそれは無くせる。
そのために道がある。
こんなことを考えてきたが
それも無い。
無い。 無い。 無い。 無い。
絶叫するしか無い」。
詩人が 自分自身を通して触れた
お経の世界は どんなものだったのか。
伊藤比呂美さんが語る
お経の世界を聴く。
詩人の伊藤比呂美さん。
アメリカで 20年以上 暮らしてきたが
パートナー ハロルド・コーエンさんを
亡くし 3年前 日本に帰国。
以来 熊本で暮らしている。
66歳になった今も
執筆や講演 大学の講義などで
忙しい日々を送っている。
この日は 雑誌の連載の締め切り日。
(水道の流れる音)
これ お水 大丈夫です?
ああ! いつ
いつ こんなことになってたんだろう。
音がしてるな~って思ってたんだけど。
あら~…。
集中してらっしゃったので。
伊藤さんは ここ10年ほどの間に
母 満寿子さん 父 一彦さんを
相次いで看取った。
(猫の鳴き声)
今 共に暮らすのは 2匹の猫と2匹の犬。
何~? 何~?
何か食べるの~? 何か食べるの~?
困ったね。 乾いたかな。
にぎやかですね。
猫のメイとテイラーは
地元の知人から譲り受けた。
アメリカ時代から共に暮らす
愛犬 クレイマー。
そして この春 保護センターから
新たに若犬を1匹 引き取った。
もう 60になった時に
これが最後だなと思って
それで クレイマーをゲットして
最後のジャーマンシェパードとか思って
そして それが これ。
だから… そしたら
これ飼っちゃってね もう一匹。
だから どうなるんだろうなと思って。
犬って 15年とか生きるじゃないですか。
そしたら今 66だから 80?
80になったら 今の このチトーの方が
もうボロボロの よれよれになって
2人で老いていく感じですかね。
伊藤さんの自宅には
仏教の経典や その解説書が100冊以上。
人間の生と死 そして 自らを深く見つめる
言葉に心惹かれ 10年以上 格闘してきた。
そもそも どんなきっかけで その
お経とかね 経典に出会って
現代語訳という形で 自分の言葉にして
表現されていった…? はい。
父や母が死にかけた時。
彼らを見てるとね
死に方が分からないっていうか。
覚悟ができてないんですよね。 誰も
覚悟なんか できないと思うんですけど。
見てると こう
なすすべもなく ただ こう
こう 空中に漂ってるみたいな感じで。
死にたくもないし
かといって生きたくもないし
どうしていいか分からないみたいな。
ところが こういう時に何かあったら
頼りになるかなと思って。
「仏教って あるんじゃない?」とかって
言ってみたら
父も母も全然 興味ないみたいに言われて。
だから 死ぬまで…。
例えば父なんて
熊本で ずっと独居して8年間。
私 アメリカにいて 毎日 電話して
で まあ もう頻繁に帰ってきて。
本当に彼が弱ってた時なんて もう月に
1ぺんとか帰ってきたんですよね。
で その父としては帰ってくる娘を
待ってるだけの人生っていうかね。
最後の8年間は。
何か 何か他にあるんじゃないかな。
もっと こう積極的に
何か こう自分の心の中に。
それが宗教なんじゃないかなと思って。
興味がないっていうことでね。 だったら
私が ちょっと調べてみるかと思って。
で わが家に1冊… 違う 違う。
「わが家に1冊」か。
「お経」みたいな本があるんですよ。
あるいは 「わが家の宗教を知る」とかね。
で いろんな宗派 全部あるんですね。
それを初めっから全部 読んでみたら
面白かったんですよ。
伊藤さんご自身が?
詩だったんですよ。
これ 詩じゃんとか思って。
で まあ 漢文で書いてあるでしょ。
漢文の白文だと読めないので。
それに今の現代語訳がね 今の現代語の
現代語訳ついてるんですけど。
何だろう 仏教的な学者がやったのかな。
割とギクシャクとしたもので。
ギクシャクとしたところが また
きゅんときてね。 詩人なんで。
で ああ これは面白いなと思って
翻訳したいなと思ったんですけど。
7世紀
中国の僧 善導が書いた
「日没無常偈」。
「偈」とは 仏の教えを
詩の形で説いた文章だ。
お経を その自分の表現にしていく
っていう その作業自体は どうでしたか?
むっちゃ楽しかったです。
むっちゃ楽しかったです。 翻訳っていう。
まあ 現代語訳ですけど
翻訳みたいなものですね。
その自分の言葉にしていく
っていうのはね。
詩人として これは業っていうかね。
もう なんか
あらゆる分からない言葉があったら
自分の言葉にしちゃいたいんですよね。
で もう そういう意味でね
本当に楽しかったな。
本当 言うと サンスクリットとか
できりゃいいんですけど
できないから 私は。
漢文から やったんですよね。
だからね 仏教漢文の読み方みたいな
本をね 2~3冊 買ってきてね 勉強して。
すっごい好きなのが 白川 静の漢和辞典で
それを引きながら 一字一字 当てはめて。
そして先行する人たちの
もう既に現代語訳があるでしょ。
しかも サンスクリットから直接 訳した
人たちの現代語訳があるんですよね。
それと それを見比べながら 自分の表現
というのを探していくんですね。
で 例えば「供養」とか「回向」とか
そういう言葉も仏教用語じゃないですか。
それが一体 どういう意味だったんだろう
って思うと分かんないんですよね。
本当に それはね すごい大変だった。
本当に大変だった。
こうだなと思って こう
自分の分かる言葉で書くでしょ。
それも ひらがなの多い漢語じゃなくて
この ふだん使ってる言葉ですよね。
こうだなと思って書いて 1か月後に
見ると違うなって思うんですよ。
もっと違う言葉だ… ていうので
また やり直し。
で また しばらくして見ると
また違うんですよね。
で だから まあ その 何だ 英語で言うと
「I did my best」なんですけど。
え~っと 何て言うの
「I did my best」っていうのは。
私ができることは したんですけれども
違うかなぁっていうのは いつも あるし。
またね そのうちに気がついたんです。
私が知ってる言葉で みんなが分かる
言葉で言えたんだったら
仏教やってる…
仏教やってる必要ないんですよね。
だって ふだんの言葉で
示せるようなことだったら
特別 そういう言葉を使う必要がない。
そういう言葉を使わざるをえない
っていうことが
その概念が
それまでの生活になかった概念なわけで。
だったら それ まんま
みんなが持っていくのも
しかたがないなって思ったんですけどね。
でも 諦めきれずに
できるところまで やったんですけど。
伊藤さんは お経と向き合う時 自らの
人生をかえりみずにはいられないという。
そのきっかけとなった「懺悔文」。
読経の初めに読む 短いお経の一節だ。
懺悔っていう。 まあ 普通 今の日本語だと
懺悔って読みますけどね。
この「懺」の方 これをね 調べたらね
切り刻むようにして
っていう意味があったんですよね。
心… りっしんべんだから 心を切り刻む
っていう。
それをね この現代語訳に
入れたんですよね。
だから こう一つ一つ こう
何だろう こう…
その心をね ここか
細かく こう ナイフで切ってって こう
開けてみて あっ これもダメだった
これもダメだった これもダメだった
これもダメだったって
一つ一つ後悔していくみたいな
それがね 懺悔っていうね あるいは
懺悔って キリスト教の影響を受けると
懺悔って読みますけど。
そういう言葉だったと思うんですけどね。
恐らくね 大きなものに向かい合う時の
一番 基本の考えのような
気がするんですよね。
宗教にしても何にしても
自分が ちっさいなぁって
自分がダメだな~っていう感じ
自分は何もできないな~とか
自分は ひどかったな~みたいな。
その反省… 悔やむ。
もう本当に必死になって
自分自身で こう ずっと生きてきたから。
かえりみる隙もないっていうかね。
私は私よ みたいな感じで
生きていかなくちゃいけなかった。
で また そうでなかったら
生きてこれなかったっていうのも
あってね。
でも お経っていうのを
懺悔文 訳した時に はっと立ち止まって
ちょっと待てよ みたいな。
ふっと後ろを振り返ったら
死屍累累なんですよ 自分の人生。
ああ こういうことだったのかと思って。
ぱたっと こう ちょっと止まってね。
反省して。
心を切り刻むようにして 悔いて。
で しかたがないっていうので
立ち上がって
また行くみたいな そんな感じ。
伊藤さんは 1955年
東京の下町に生まれた。
一人娘として大切に育てられた。
しかし 思春期を迎えた頃から
親子関係が難しくなり
大学入学を控えた18歳の時 摂食障害に。
自分の内面との格闘が続いた。
なんか自分でも訳が分かんなくて。
食べられないんですよ。
食べたくない方?
あのね それがね 微妙なの。
食べたくないのか食べらんないのか
分かんないんですよね。
で 食べちゃうんですよ。
食べちゃうと なんか もうね こう
火のついた石か何か 飲み込んだような
感じになっちゃうんですよ。
これは食べてはいけなかったみたいな。
で 食べないんですよ ギリギリまで。
表面的なとこで思うのは 女になることが
嫌だったんだと思うんですよね。
それは もう当時から
ものすごく意識してて。
体がね おっぱいがあって お尻があって
みたいなのは なくなっちゃうんですよ。
ずばっとなっちゃう。 ガリッガリに。
痩せていくと?
うん。 で 月経なくなるし。
で 月経がなくなったっていうことで
母なんかは ものすごくアプセットして
私を病院に連れてってみたり。
まあ とにかく そんなのがあってね
何だろう うん あの…。
女っていうのが嫌なんだな。
でもね 女が嫌だからって
じゃあ 男になりたいのかって
男にはなりたくなかったんですよ。
ペニスなんか欲しくもなかったし。
だから とにかく
ただ女になりたくなかったっていう。
伊藤さんが 大学に入学した1970年代。
女性たちは
男性中心の社会からの解放を求めて
「ウーマンリブ」と呼ばれる運動を
始めていた。
その流れは
文学や現代詩の世界にも広がり
女性であることや セックスを
自由に表現する潮流が生まれていた。
二十歳で 詩の世界に出会った伊藤さん。
見つめたのは 「女である自分」。
摂食障害や自傷行為
セックスの経験などを
吐き出すように つづっていった。
やっぱり どうしても自分の女である
っていう そこにいったような気がします。
いやおうもなく女であるっていうところに
いったような気がします。
社会的には 私は昔の方が
自由だったような気がしますよ。
ふつふつふつふつと
ウーマンリブの人たちが
あっちこっちで 集会とかやってたし。
その先生の手伝いしてね 「フェミニスト」
っていう雑誌が 先生が出してて
下働きしてたから
「じゃ 配達 お願いね」とかって言われて。
それで 「はい。 こんにちは
『フェミニスト』です」って言って
雑誌 持ってくんですよ
新宿の集会所か何かに。
「ちょっと あんた 座ってらっしゃい」とか
って言って 一緒に座って。
そこで自分は どうやって セックスを
したかみたいな話を みんなが するわけ。
それを
ゲロゲロッとかって思いながら聞いて
「じゃ 次の配達があるから行きます」とか
って言って また次に行って
「あんた ちょっと座ってらっしゃい」
みたいな感じで。
そういう経験してたというのは
よかったですね。
あの そのころは もう本当に闇夜の中を
手探りで行くしかなかったっていう。
だから たまたま自分のやった表現が
読者が読んでくれて
面白いって言ってもらったら
あっ うれしいわと思ったけど
なんでかなって そこも深く考えなかった。
もう とにかく行くしかない
みたいな感じで。
28歳で 2度目の結婚をし
2人の娘を出産した伊藤さん。
自らの経験を赤裸々につづったエッセー
「良いおっぱい悪いおっぱい」を発表。
子育てに悩む母親から
大きな共感を呼んだ。
「がさつ
ぐうたら ずぼら
何しろこれさえ
きちっと押さえれば
何も問題は
起こりません。
育児ノイローゼも
子殺しも大丈夫です。
がつさ
ぐうたら ずぼら
くりかえして
覚えておきましょう」。
あの時の原動力は 母親 こうあるべし
みたいに言われてるのに
クソったれっていうのが
あったんですよね。
胎児は うんこであると
っていうことを言い。
で とにかく
子どもよりも自分の方が大切
「コドモより親が大事」っていう本も
あるんですよね。
これ 太宰から取ったんですけど。
太宰はね 「子供より親が大事、
と思いたい」って書いて。
私 それ取っちゃって
「コドモより親が大事」っていうタイトル
つけたんですけど。
そういうことなんですよね。 汚いものは
汚いと思うしね 嫌なものは嫌と思う。
嫌だなって。 その嫌な泣き顔を描いたし。
それはお母さんたちが ちゃんと自分を
大事にしていいんだよっていうことを?
自分が うん。
まず親が最初だろうと思ったの。
まずは 親が幸せになんなかったら
まず親が
いろんなストレス抱えて不満だったら
それは子どもに対して ちゃんとした
自分を向けらんないだろうと思って
まず親がっていうふうに
思ってたんですよね。
講演会なんかで
「お風呂なんて入れなくていいんですよ」
って言った時の その
観客の あの 見えてるでしょ
なんか ホッとした顔をするのが
もう忘れらんないですよね。
なんか 夫の帰りが遅くて
お風呂 入れらんないんです
みたいなこと言ってて
「お風呂なんて入れなくて
いいじゃないですか」って。
「汚くたっていいじゃないですか」
みたいなこと言ってね。
自分や世の女性たちの苦しみの
根っこにあるものは何か。
伊藤さんは 「自分」と「他者」との関係の
在り方を問い直すことになる。
まず自分を助けて 自分が いい…
この 満足のいく生き方が
できなかったら
人のことは できないんじゃないかって
思っていったんですよね。
長い時間かけて。
で それは対子どもだって そうだし。
まず 自分が
自分は誰かってことを分かって
つまり成熟していかないと
子どもを相手できないし
まず自分が成熟して
自分は自分というのが分かってないと
まず その相手
その性的に関わる相手っていうのが もう
ぐちゃぐちゃになるなっていうのは
経験から学びました。
自分と相手の男性との?
やっぱり ここでね 私は私 あんたは
私のものみたいに考えちゃうんですよ。
あるいは 私たちは お互いに
愛し合ってるから 2人で1人みたいな。
とんでもなかったんですよね。 「私は私」で
「あんたは あんた」だったんですよね。
そしたら 相手を尊重できるし
相手の生き方というのも尊重できるし
自分の生き方というのも
相手に尊重させられるし
自分は自分で生きていかれるし
そしたら どこまででも協力しましょう
っていう感じになるような気がする。
伊藤さんは 多忙を極めた30代後半で
夫婦関係に悩み 離婚。
恋愛や表現者としての葛藤も重なり
死を考えるほど追い詰められた。
そのころに出会ったのが
仏教とも関連する古典の世界だった。
もう本当に この世のものじゃなかった
ような気がする。
うつ うつだったと思うんですけど。
ストレス… うつって
そのころは思ってたし
もしかしたら 人格障害かなとかって
いろんなことを思ってたんですけど。
今になってみたら
ストレスを こう ちゃんと… なんか
ストレスに対応できてなかったみたいな。
ストレス障害みたいな。
もう意識を ここで こう持ってるのが
嫌なんですよね。
だから動いていると 体が動いていると
ちょっと いいみたいな。
で あのころね 私は その「語り物」
っていうのに深く はまったんですよね。
その理由は 語り物にね
道行きというのがあって。
その道行きっていうのは あの
例えば心中なんかでも
2人が こう
近松門左衛門の心中ですね。
そうすると2人が こう この場所から
あの場所 この場所 あの場所って
心中するとこまで行くでしょ。
これ 道行きなんですよ。
で これが死にに行くための道行きで
説教節
私の好きな説教節は
やっぱり
道行きがあるんですよ。
これはね 死ぬための
道行きじゃなくて
生き延びるための道行き
というのをするんですよね。
で それが その時代に その
どこから こう… シサイに来いとかね
文学祭に来いとかっていうので
行くんですよ。
その飛行機に乗って 電車に乗って
また飛行機に乗って 電車に乗ってって
もう 身を動かしていく。
それがね よかったんですよねぇ。
当時はね。
少しでも その間は
少しでも生きていられるんですよね。
目的地に行くまで。
で なんか道行きっていうものが
もう なんか体で分かった
みたいなところが あって。
ああ そうか
道行きというのを語ってた人たちは
こういう やむにやまれぬ
今 ここにいたら生きていかれないが
体を ちょっとでも動かすことで
生きていこうっていうね
その意志を持ったんだ あるいは
生き延びようとしたんだと思って
それで動いてたんだっていうのが
なんかこう 全身で分かってきてですね。
これがね この辺が
一番 ビンビンときた…。
「道行き」の世界に魅せられた伊藤さん。
やがて その源流にある
お経の世界に出会うことになる。
で やっぱり 一番最初にガーンときたのが
これの ちっちゃいやつね。
「般若心経」。
「般若心経」。
「般若心経」って すごい有名でしょ。
で すごい短いでしょ。
なんですけど 中を実際 訳してみると
しつこいんですよ。
こうね こういうブロックがあって
それを少しずつ 少しずつ
変えていく感じなの。
その 少しずつ
変えていくっていうところが
何かこう 仏教の始めの人たちの
考え方であったんだろうし
また 人を動かしていく ある意味
道行きのような
あの 体をね 実際 動かしていくみたいな
時間がたっていくとかね。
場所が移動していくとか
そんなようなものが
あるような気がします。
「般若心経」は 観自在菩薩という菩薩が
シャーリプトラという修行者に向けて
この世の真理を説く 260文字余りのお経。
伊藤さんは 自分という存在を
深く見つめる このお経に惹かれ
何度も訳し直してきた。
「わたしは共感する者であります。
人の苦がありありと
目に見えるんです。
共感しながら 人々を向こう岸へ
渡したいと思っています。
今日はわたしの
発見したことを話します。
わたしという存在が。
色る。 色ることを受る。
それについて想う。
わかろうと行る。 識る。
これが『わたし』という存在をつくる
プロセスだということ。
そしてさらにわかったんです。
そのいちいちのプロセスは
『空っぽ』だということ。
そう考えたら たちまち
苦だらけの日々から
スッキリと苦が抜けました」。
「聞いて しゃーりぷとら。
『色る』と『色るが空い』はちがわない。
『色るが空い』と『色る』はちがわない。
『色る』は『空い』で『空い』は『色る』だ。
そしたら 色る・受る・想う
わかろうと行る・識るについても
ひとつ ひとつ 同じように考えてみる」。
「しゃーりぷとら ここから見れば。
存在するものはすべて『空い』のだ。
生て不い。 垢く不い。 浄く不い。
増て不い。 減って不い。
つまりこうだ 『空い』と考えれば
そこには 『色る』も無ければ。
『受る』も無い。 『想う』も無い
『わかろうと行る』も無い。
『識る』も無い そしたらこうも言える」。
「『目』も無い 『耳』も無い 『鼻』も無い
『舌』も無い 『皮膚』も無い 『心』も無い
そしたらこんなことも言える
『目でみるもの』も無い
『耳できくもの』も無い
『鼻でかぐもの』も無い
『舌であじわうもの』も無い
『皮膚でさわるもの』も無い
『心でおもうもの』も無い
人が生きる。
『みる』から『かんがえる』まで
いろいろなプロセスがつながっていく。
それを生きる。
それがいちいち苦につながる。
でも。 『目でみる』は無いのだった。
『目でみる』は無い も無いのだった。
それからつながるプロセスも
いちいち無いのだし
『心でおもう』も無いのだった。
『心でおもう』は無い も無いのだった。
人が生きる。
『何も知らない』から『老いて死ぬ』まで
いろいろのプロセスがつながっていく。
それを生きる。
それがいちいち苦をうみだす。 でも。
『何も知らない』は無いのだった。
『何も知らない』は無い も無いのだった。
それからつながるプロセスも
いちいち無いのだし
『老いる死ぬる』も無いのだった。
『老いる死ぬる』は無い も無いのだった。
ああ 苦しい。 苦しみの原因があるから
こんなに苦しいのだ。
でもそれは無くせる。
そのために道がある。
こんなことを考えてきたが それも無い。
無い。 無い。 無い。 無い。
絶叫するしか無い。
ダカラ。 修行者はみなコレを知る。
それで 心をさえぎるものが無くなる。
さえぎるものが無くなるから
恐怖もなくなる。
うろたえて蹴つまづいてひっくり返って
思いなやむなんてことも無くなる
心がひろびろと解き放たれる。
過去も 現在も 未来も
向こう岸に渡った人たちは
みなコレを知っていたし
知っているし これからも知るだろう。
ダカラ。 知れ さあ知れ いま知れ
知らずにおれるか。
ああ すごいことばだ。 光にみちて。
あんな高いところにあって。
ならぶものなんてどこにもなくて。
口に出してとなえれば
どんな苦も抜ける。 ほんとうだ
これだけは 空いじゃ不い。
ダカラ。 しゃーりぷとら
そしておあつまりのみなさん。
わたしはつたえます このことば。
完成にゆきつくための真のことば」。
目もない 耳もない 鼻もない 舌もない
皮膚もない 心もない。
目で見るものもない これもない
これもない これもないって
同じことを言ってるのを繰り返し
繰り返し 次の段階に持ってくの。
ここがね なんかね
移動感があるんですよね。
移動してる感覚が。 で 何ていうの…
少しずつ変えていくみたいな。
そうすると 最初 始まったとこから
全然違うとこに連れてかれるような感じ。
これが なんかお経の… まあ
「般若心経」は特にそうなんですけど
すごい面白いとこだなと思って。
人間の認識を
すごい揺さぶってくるような。
うん 揺さぶられた 私も。
で まあね
あんまり仏教的に生きてないんですよ。
刹那的に生きてるんですよ
自分の好きなようにね。
なんですけど 何かあった時に
こう分析…
因数分解みたいなもんなんですよ。
因数分解して 細かく分けてみて
そして あっ こう考えてるけど ない
こう考えてるけど ない
目で見えるものはない
耳で聞くものもない
鼻で感じるものもない。
それをね 一応 そういう因数分解の癖が
翻訳してる間についてくるでしょ。
そうすると
結構 生きやすくなりますよ これは。
あんまり こだわんないの。
伊藤さんは お経が長い時間をかけて
伝えてきた世界の中に
詩人として追い求めてきたものと
共通するものを感じるという。
詩っていうのは不思議なことで
私が書いたものが
例えば 翻訳されればね
どっか遠くの国の
全然違う言語の人も翻訳されてあれば
読んでね
よかったって思うわけじゃない。
私なんかも どっかの遠くの国で
書かれたものが翻訳されてあって
それを読んだだけで 翻訳通しているのに
全然 別物になってるはずなのに
何かに触れてね
すごい いいとか思うわけ。
心を揺さぶられて
いろいろな力をもらえる。
それ 何なんだろうと思ったら
つまり 我々の持ってる
無意識っていうのがね
ある意味 こう 脈々と流れていて
地下水みたいに 地球の上を。
で そこを くみ取るんですよね。
自分のちっちゃい ひしゃくで。
でも 向こうの人も自分のちっちゃい
ひしゃくで くみ取ってるわけ。
それ もとは全部同じだみたいな
感じがするんですよ。
そういう こう 掘り下げていく
何かに触れるっていう行為と
お経っていう世界に また触れるっていう
そういうことっていうのが
共通する経験なのかなと。
むっちゃ共通する。
お経って 長いこと ほら
いろんな人が関わって
そして この… そうなんですよ。
アノニマスっていう
何て言うんだろうね アノニマス。
無名というか…。
いう形でも 大きな流れ
つくってきたわけでしょ。
で 何百人か 何千人か分からない
いろんな人が関わってきたものですよね。
語り伝えるっていうことは
そこで もう既に
その無名の人たちが関わってきて
彼らの意識が
乗っかってるっていうことだから
そういう形でね イメージとして思えば
おっきな川みたいになってるのが
お経ってものだと思うんですよ。
無意識の川みたいな。
だから 我々は それを読んでね
あるいは聞いてね
ビーンとくるんだと思うんですよね。
何 読んでも ほんとにね
くめど尽きせぬ泉を
発見したような感じだった。
お経っていうのを見た時に。
なんで これを
今まで知らなかったんだろうみたいに。
だから 若い頃 中也にはまり
賢治にはまり
朔太郎にはまり ギンズバーグにはまり
そうやって いろんな人の詩を
はまって読んできているんですけど
ほんと 同じようなものが
お経というのにはあって
我々の生活に すごく密着して
それこそ 聞いたことも何べんもあれば
ただ 耳に入ってこなかっただけで。
生活を こう… 本当に
そこにいたみたいな感じだった。
私たちが陥る大きな 大きな罠っていうか
トラップっていうか
くぼみというか 裂け目というか
それはね
詩らしくなりすぎるっていうとこです。
自分の書いてるものを見て下さい。
詩らしいなと思ったら それは間違えだ。
これはまだ 終わってない。
それを もっと崩せっていうところに
持っていきたいんですね。
伊藤さんが 今 大切にしているのが
若い大学生たちに向けた 詩の教室。
日本に帰ってきてから
複数の大学で教えてきた。
へえ~ 面白いね これね へえ~。
うんうん 何? 「ギャラリギャラリ」って
聞いたことないわよ。
シャラシャラっていうのはあるし。
あとで これを朗読してもらいます。
えっ こわっ!
伝えるのは 恥ずかしさを恐れずに
自分の言葉を人に届けること。
やりたいことを 恐れずに 大丈夫。
「意味は無いのさ はは。 と
祖父は 笑うし
意味は無いのよねホントと 祖母は…」。
伊藤さんは どんなタイプの表現も
否定せず 楽しそうに受け止める。
ヒュー! よかった。
はい どうぞ。
「お元気ですか ヤンゴンの犬。
まだ耳に残っているのです。
明け方 托鉢の始まるより
日を迎えるより早く
遠く 遠く こだまする。
お前が誰かを呼ぶ言葉」。
「調査するたびに 超過する棒が
拡大阻止に講じる処置
時にして 令和2年3月の26日をもち
新型インフルエンザ等対策特別措置法
附則第一条の二第一項及び第二項の
規定により その法十四条を応用し
政府対策本部が早々に設置」。
まだまだ思慮が足りてなくても
勢いで自分がそう思ったんなら
一回 突っ切ってみなさいっていうのを
すごい 言って下さいますね。
だから なんか こう びびりながらも
えいやっていうのが
踏みやすくなる。
「私のせいで世界平和が
あるように思えてきました。
夢で会った北アイルランドの
ブロンド髪の少女に告ぐ。
赤いバッグの中身は小宇宙。
世界はあなたの枕元に
世界はあなたの枕元に
ラベンダーの香り」。
ほんとに 連詩的にいったら
これ ルール違反。
進む場合 そこに戻らないというのが
あるんだけど
いいのよ ルールはね
破るためにあるのよ。 伊藤比呂美。
すばらしかったよ この終わり方。
はい じゃ おしまい ありがとう~。
(拍手)
はい じゃ 次で~す。
なんかね 書くっていうことが
自分の手の中に
残ってるといいなと思うんですよね。
で あの子たち… 例えば 50人いたら
何人かは将来 ものすごく うつになって
病気になると思うんですよね。
もう よれよれになって
生きていたくないと思った時に
そうだ あの時 先生が言ってたとか思って
書いてくれたら
そこで なんか
ちょっと違うんじゃないかなと思うし。
まあ たくさんの子は 恐らく
結婚するだろうけど
離婚っていうね 地獄を味わうだろうし
子育てにも苦労するだろうし
あるいは就職でも苦労するだろうし
仕事でも苦労…。
もう この先が順風満帆なんて
とても考えられないんですよね。
その時に 詩っていうのがあればね
何だろう… 自分を見つめる
そして 自分の中の
自分で気付かなかった感情を
こう 引き出してくるっていうことを
やっていると
とっても いいんですよ 人生が。
私はその 何か 大変だなって思うことに
ぶち当たると 書くんですよ。
自分の ほんとに苦労が目の前にあって
それを書くことで
なんかこう やり過ごしてきた
サバイバルしてきたっていう
意識があってね。
で 書くっていうのは
そういうものだろうと。
で これを学生たちに
伝授したかったんですよね。
あるいはね 伝授というのは
ちょっと違うのね。
勝手に探してもらいたかったんですよ。
で 私はここにいて
彼らが探す手伝いをするから
あとは勝手に探せと。
でも 戸は開けたからねっていう感じ。
伊藤さんを とらえて離さないお経…
仏の教えが雨のように
大小さまざまな生命に降り注ぐ様を説く。
「カーシャパよ。
譬えれば こんなふうだ
この全宇宙の 山や川や谷や平原には
草や木や茂みや林が生えている。
それからいろんな薬草も生えている。
種類も違う。
それぞれ異なる。
そこをみっしりと雲がおおう。
すきまなくこの大きな
宇宙ぜんたいをおおう。
一時にひとしく雨がふりそそぐ。
その水と草のまじわるところ
何もかもがぬれそぼつ。
草や木や茂みや林や
それからいろんな薬草たちが
小さな根の 小さな茎の 小さな枝の
小さな葉の
中くらいの根の 中くらいの茎の
中くらいの枝の 中くらいの葉の
大きな根の 大きな茎の 大きな枝の
大きな葉の
さまざまの木々 大きな木や小さな木が
高い場所 中くらいの場所 低い場所に
生えているそれぞれが
それぞれの場所でそれをうけとる。
一つの雲がふらす雨だが
その種の成分や性質にあわせて
受け取ってのびる。
花がさいて実がなる。
一つの大地から生えたものだ。
一つの雨がうるおしたのだ。
でもそれは一つ一つの草木に
一つ一つ違うものをもたらす。
カーシャパよ みてごらん。
如来というのも
まぎれなくこのとおり。
大きな雲がわきおこるように
この世にあらわれる。
大きな声をはりあげて
雲が全宇宙をすっぽりと
おおいつくすように
世界にも天にも人にも
阿修羅にも 声をゆきわたらせる」。
伊藤さんが日課としている
愛犬 クレイマーとの散歩。
身近な自然の中に
いのちの営みを感じている。
うん 29分だから もう もう これは…。
ああ すごい きれいですね。
つばめがね 表面をね
サーッと群れで飛んで
しかも 向こうから こっちに
サッと動くんですよ。
その時に 驚かずに立ってると
よけてくれるの。
(つばめの鳴き声)
上からね ザーッと落ちてくるの。
あっ ほら 落ちてきた。
でも つばめが単にねぐらに入るのと
死というのが
こんなに似てて
いいのかなぁと思いながら。
で また この人たち 次の日… あっ
起きるから 起きるんだなって思うしね。
毎日 ここに来て同じこと考えて
その先 いかないんだけど。
伊藤さんが今も時折 思い出すのは
5年前に看取ったパートナー
ハロルド・コーエンさんのこと。
すっごい仲悪い夫婦だったんですよ。
死んじまえって
いっつも思ってたんですよね。
もう ほんとにね 死んだら
次の日に私 帰るからねみたいな
ずっと言ってたんですよね。
ところがね 目の前でね 容体が急変して
どう見ても これ おかしいなと思ったら
救急車 呼んじゃうんですよね。
自分から乗っけて ER連れてって
なんか 延命しちゃうのね。
これ 何なんだろう あんなに
死んじまえと思ってたはずなのにって
思っていたんですけど。
どんどん どんどん衰えていって
今までと なんか
関係性が変わってきたんですよね。
こっちが ある程度 庇護するもの
向こうは されるもの
ていう関係になってきて
どこ行くのにも私が連れてってみたいな。
だから そんな2~3年間過ごして
最後 ほんとに何もできなくなってって
最期までみて で 死んだんですよね。
だからね その 完遂したっていうか
男の一生をね 見届けたっていうのが
うちの連れ合いの場合は あって
ああ よかったなと思った あれは。
今 うちに帰ってきて
「ただいま」って言って
ドア入ってきたら いいだろうなって
思って 涙出たことがある。
それはもう ほんとによく 何度も何度も。
で 別にいてほしくないんですよ
繰り返して言いますが。
ものすごく めんどくさい男で
ほんとに めんどくさくって
自己本位で 俺様でっていう男で
もう めんどくさいなぁと思いながら
20数年間 生きちゃったから
でも 今 帰ってきたら
あっ おかえりって言ってうれしい…
今もなんか ちょっと涙出てきた…
それだけなんですよね。
その瞬間だけなんですよね。
だから 何でしょうね…。
コーエンさんが亡くなるまでの数年。
伊藤さんは
毎日のように日没を見続けていた。
看取りと夕日が
重なってるとは思ってなかったんですよ。
単にきれいなんですよね。
アメリカ 特にカリフォルニアでしょ。
いっつも晴れてて
毎日毎日 同じような夕日が
この ほんとにピカーッと晴れた
真っ青なところが
だんだん色が変わってって
そこに夕日が沈むんですよね。
で 沈んでいって
はっきり見えるんですけど
沈んでいって ちょっと水平線の上に
このぐらい出てる感じなんですよ。
そうするとね スッといくかなと思って
いくと思って見てると
いかないんですよ。
沈んでって 沈んでって 沈んでって
最後の瞬間で ちょっと
とどまるんですよね。
時間的に もう何秒もない。
何分の1秒みたいな。
ちょっと とどまって
スッと沈むんですよね。
いっつも犬がいるから
「ほら 死んだ」って言うと
うん みたいな感じで帰ってくるっていう。
そういう なんか
日想観っていうんですかね
太陽を見て ものを思って
そういう修行があるんですって。
だから それやってたのかもって
自分で思いました。
あのね 同じことを毎日やるのが大切よ。
毎日 同じものを見ろ
毎日 同じことを考える
毎日 どっかに
同じように行くっていうのが
私が好きだし また それがね
なんか すごく
よかったような気がするんですよね。
違うところに 今日はあそこ
今日はあそこっていうんじゃなくて
毎日 そこに行って
毎日 同じものを見るというのが
恐らく 仏道修行の
何か肝のような気がする。
これ ものすごく
よくできたなと思ってて。
「白骨」。
(つばめの鳴き声)
人間とは何なのか
自分とは何なのかっていうかね
生きるとはっていう感じね
死ぬるとはみたいな。
生きるとは… 死ぬということは
生きるってことだから
生きるっていうのは
何なのかっていうのを
感じるように 感じるんですよね。
うん それをずっと
考えてるような気がする みんな。
生きるって何なんだろうって。
死ぬまで考えてるような気がするんですよ
生きるって何なんだろうって。
で 親を見てて
あと うちの連れ合いを見てて
あるいは 犬を見てて思ってたのは
ああいう 死に向かってる人たちね
あと もう少しで
死ぬだろうなっていう人たちも
一生懸命 一生懸命 生きてるんですよね。
文句言いながら 苦しみながら。
で 死ぬまで生きてんだなと思って
当然ですけどね。
この 死ぬまで生きてるなっていう感覚に
出会った時は
自分で ユリイカって思った。
ああ なんかね 発見したっていう。
そうか 死ぬまで生きるんだって
思ったんですよね。
分かります? 分かってないですね。
まだ分からない…。
ああ…。
でも これしかないなぁ。
いつか死ぬって感覚なんですよ。
ほら 私たち みんな いつか死ぬでしょ。
それはもう絶対… いつだったか
近所のお寺で座禅やってた時にね
終わったあとに
そこの住職さんが いつも なんか
ちょっと お話しするんですけど
その時にね 「皆さんに」って言うのね。
これ 真似ですよ 受け売り。
「いいこと教えてあげます。
人間 致死率100%」って言うんですよ。
で みんな笑うんだけど
ほんとに そうなのね。
で いつか死ぬなんですよ。
でも 私がお経のことをずっとやってて
いろんなものを読んでね。
本から 言葉から得た
知識でしかないんですけど
あと 親が死ぬの
友人が死んでいったの
連れ合いが死んでいったの
犬が死んでいったのって
見て 気がついたのは いつか死ぬ。
でも それまで
生きるってことなんですよね。
私がお経の作者だったら
その言葉を入れます。
いつか死ぬ それまで生きるっていう
これをね 入れたいなぁと思った。
で その いつごろ? 数世紀前?
紀元前に生きててね
自分で歌ってね 言うことが可能だったら
その文言を入れて 詩 作りますね。
ありがとうございます。
どうもありがとうございました。
これでいいの? わ~い 終わった!
すいません 長い間。
は~い クレイマー 終わったよ。
分かるんだもんねぇ うぅ~
終わった 終わった 終わった… ヤァ~!
よしよしよし… う~ん
終わったんだよねぇ いい子ね。
ほんとに いい子でしょ?
ほんとに いい子だもんねぇ。
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