出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 立川志の輔[解][字]
~人気落語家…愛息の“弟子入り”を3度断り~立川志の輔さんが今日のゲストです。
◇ゲスト
毎年1月に行う一カ月公演のチケットは例年即日完売という人気落語家、立川志の輔さんがゲスト。
◇番組内容
毎年150を超える公演を全国で行い、古典から新作まで名調子を披露、落語の発展に尽力している志の輔さん。大学卒業後、広告代理店に就職したが、28歳で一念発起し立川談志さんに入門、落語の世界に入った。その談志さんが亡くなり今年で10年。落語会の風雲児と言われた談志さんへの想いを語る。芸に邁進してきた志の輔さんだが、子育てにも積極的だった。息子が幼い頃には“本物を経験させる”ことに力を尽くしたという。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- 面白
- 伊能忠敬
- 観客
- 広告
- 今日
- 主任
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(黒柳)今日のお客様は
とにかく
チケットの取れない落語家
立川志の輔さんで
いらっしゃいます。
どうぞ こちらへ
お入りくださいませ。
年間150以上の公演を
全国で行っていらっしゃる方で
いらっしゃいます。
どうぞ お座りくださいませ。
どうも 今日 おいでくだすって
ありがとうございました。
ええー…。
この前 私がやりました
『ハロルドとモード』っていう…
まあ 朗読劇ですけど
おいでくださいまして…。
いや 本当に
楽しませて頂きました。
本当に?
新しいスタイルの朗読劇…。
ええ。 そうだと思います。
…でしたね。
まあ ご本人は毎年1月に
1カ月間の独演会やなんかを
開催なさるんですが
チケットは即完売という
本当に 大変な人気ぶりで
いらっしゃるんですって。
同じ劇場を
私も拝借致しますので。
私が行くと
「もうね 志の輔さんのはね
もう切符がね ないんですよ」って
みんながね…。
私に言われても
困るなと思うんですけど。
いや まあ
うちの親類が総力を挙げて
買い占めに
当たってんじゃないかと…。
フフフフ…。
あっ でも 人気の話芸を
ちょっと
ご覧頂きましょうかしら。
ちょっと ご覧ください。
「嫌になっちゃう。 絶対 来年から
大みそかは休館にするぞ」
「主任 主任 主任」
「どうした? 加藤君」
「えっ? してみた? そうだろ。
私の言ってる事の方が…」
「いや そうじゃないんですよ」
「ちょっと 大変な感じでですね…
ダブルブッキングみたいです」
「何?」
「ダブルブッキング」
「ダブルブッキング?
加藤君 若いからって
そういうものばっかり食べてると
よくないよ」
「(観客の笑い)」
「ダブルバーガーじゃ
ありませんよ」
「ちょっと見てくださいよ 黒板
主任」
「明日のママさんコーラス…
みたまレディースコーラス」
「今 電話で話してたのは
みたま町コーラスガールズなんですよ」
「何?」
「黒板が みたまレディースコーラス
電話が みたま町コーラスガールズですよ」
「それ 一緒じゃん」
「一緒じゃないでしょ。
黒板がレディースで電話がガールズですよ」
「(観客の笑い)」
「加藤君 頭 使うの! もう」
「予約した時は
ガールズだったんじゃないの?」
「(観客の笑い)」
「半年 経ってんだよ。
レディースにもなるさ」
「何 言ってるんですか」
「(観客の笑い)」
フフフフ…。
フフフフフフ…。
面白い。 フフフフ…。
でも 去年はコロナ禍で
100近い公演が
キャンセルになったんですってね。
そうですね。 本当に そうですね。
もちろん 私だけではなく
たくさんの
エンターテインメントが
できなかった年ですよね。
そうですよね。
どうしていらしたんですか?
4カ月半ぐらいの…。
まあ お弟子たちは
配信をしてみたり 色々な事に
チャレンジをする期間に
なったんですけれど。
一番 やっぱり
気が付きました事は
会館の方 プロモーターの方
そして 私たちやる側
そして おいで頂くお客様
これ 当たり前の事なんですけど
4者で出来上がってた落語会…
落語会でいうと
4者で出来上がってた…。
なんか 座布団の上の…
1人 こう座って
出来上がってるような感じが…。
もちろん… もちろん それは
わかった上の事ですけど
改めて 主催者の方が
やりたいけれども
どうしたらいいのか。
会場の方は貸してあげたいけど
国 都 行政の色んな指令がある。
お客様は行ってあげたいけど
隣の人が いるのか
いないのかとか
もう それを全部 合わせて
やっとできるものが
全ての
エンターテインメントなんだ
っていうのが
身に染みましたですね。
そんな事 考えないでね。
今まで 正直…。
そうですよね。
切符が売れれば もう それでね。
はい。 ずーっと できるもんだと
思ってました。
それが 公演が再開されてから
お客様が
3分の1ぐらいに
なったんですって? それでも。
本当に。 それでも 来て頂いて
そして マスクされてます。
マスクした
3分の1のお客さんって
もう ここから出る笑い声なんて
本当に届かない…。
それをお客様も
だんだんとわかってきて
空席の分だけ自分たちが
気合入れて笑ってあげないと
かわいそうだと
思う気持ちもあるのか
初めのうちは うわー 景色的には
寒いなと思ってますけど
だんだん だんだん
盛り上がってきて。
そうですってね。
ええ。
最終的には これ 1年ぐらい
半分のお客様でやってくると
なんか お客様は… ステージから
冗談で言ってたんですけど
ぼんやりした満員より
やる気のある3分の1の方が
すばらしいって言ってるぐらいに
気ぃ使って頂いて。
お客様の気迫が
盛り上がってくるんですってね
だんだんと。
本当に。
明治大学をご卒業後
会社員におなりになって
28歳の時に
落語家になる事を決意なすった。
はい。 もう…。
最初 卒業して養成所に…
劇団の養成所に
2年ほど行きまして。
そのあと
広告の会社に入りまして。
で 合計6年間ほど
普通よりは落語家になるのが
遅れたんですけど。
初めは やっぱり
遅れた 遅れたと思って
談志のところに入門しましたけど。
だんだん だんだん
自分で落語を
自由にやれるように
なってきた頃から
劇団で2年間
教わった演劇の
基礎の基礎の基礎
みたいなものや…。
広告の世界にいて
やれ 糸井重里さんの
名コピーを見たり
川崎徹さんの…。
コマーシャルの?
はい。
富士フイルムの代表される
「美しい方は」…
「そうでない方はそれなりに」
っていう
有名な 樹木希林さん…。
ああいう作品が
出来上がっていた頃の
時代の時に広告にいて。
ああ すごい。
ものすごい息吹を感じて。
ええ。
で その時に 15秒でオチをつける
笑わせるとか
15秒でジーンとさせるとか
ああ すごいな 広告の世界は…。
まあ コマーシャルって…
テレビのコマーシャルなんか
特に そうですよね。
それも感動して
勉強させてもらって。
ですから 今 思うと
6年の回り道が みんな…
今 自分のやってる落語の中の
ちょっと普通の落語と違う要素は
みんな その6年の間に
色んな人たちから頂いた
不思議なエキスだなと思って
改めて感謝…
回り道してよかったなという。
でも そういうところから
突然
落語やろうとお思いになったのは
どういうわけ?
いや それは
大学の4年間
落語研究会でしたし
ずーっと 頭の中に 半分
ああ 落語がやりたいなと
思いながらも
いやいや そうではない。
落語は客席で お金払って
笑っているのが
一番 すてきな時間なんで
やる方に回ったら大変だぞ
とかって思いながら…。
なんか そんな事 考えてるうちに
6年過ぎちゃっただけで
やっぱり 頭の半分は ずっと…
お芝居やってても
それから 会社員の時代も
1週間に2度 3度
落語会へ行ってましたし。
行ってらして。
特に 私の師匠 立川談志の
紀伊國屋ホールでの会などは
欠かさず行ってましたので。
もう入り口の所まで行きながら
なんか… 踏み込めなかったのが
立川談志 芸能生活30周年という
国立演芸場で行われた公演を
見た時に 全てが…。
前へ行く気に…。
でも 談志さんのとこに
弟子入りなさって半年で
談志さんが
落語協会 お辞めになって…。
落語協会をお辞めになった?
辞められた。
あれは驚きました。
もう来月 寄席に入るよって
通知が来て
さあと思って 着物も作って
支度をしていたら…。
バスに乗ってましたら
談志が いきなり私に向かって
「俺は もう出る」って言うから
出るって どこの落語会に
出られるのかなと思ったら
「落語協会を出る」。
フフフフ…。
「お前は俺が1人で育てる」。
まあ 亡くなって10年ですか?
今年でね。
まあ コロナ禍で イベントが
できないっていうお話ですけど。
そうなんですか?
今 ちょうど10年目で。
そうですね。
今年 本当は没後10年というので
弟子一同もそうですし
それから ご遺族の方々も
そうですし
色々な事を
考えてらっしゃったんですが。
ドーンと このコロナの
もう 真ん真ん中の状態に
なってしまって。
借りる事も なかなか
できなければという事で
とうとう 予定としては
成立しなかったんですけれど。
ちょっと 『徹子の部屋』に
お出になった時の…
ちょっと 見て頂いて…。
ああ そうですか。 はい。
「子供の時から
落語は聴いてらしたんですか?」
「落語? 聴いてたよ
小学生の頃から」
「それでね 朝 早いのは駄目だなと
子供心に思って」
「なんか 職業 持たなきゃいけない
と思ってましたからね」
「そうすると
コックもいいなと思ったけど
朝 河岸に買い出しに行くのが
大変だなと思って」
「泥棒っていうのは
捕まると やばいしね」
「それから 芸人がいいな」
「『長短』って落語があってね
気の長いヤツと短いヤツが
2人で こう しゃべってて」
「最後の下げにね
“俺が お前を教えようとすると
教えられる事は嫌いだろ?”
って言うと 大嫌いだと」
「“俺が教えても怒らないか?”
って言うと
怒らないっていうんでね
それで 教えるから…」
「実は お前の その所にも今
たばこの吸い殻が…
ここへ火がついて
こうなってるんだと言うとね
怒るんですよ」
「早く教えろっていう。
それ 怒るだろ」
「だから 教えねえ方がいいって
これが
落語の下げになるんですけどね」
「聴いてる人には
わかんないだろうけど」
「その“教えねえ方がいい”という
フレーズはね
確かに 今の教育なんかについて
教えるから あんな
ろくなもん なんないんだよ」
「教えねえ方が
いいんじゃないかという
そういう部分 部分のフレーズはね
すごくいいの ありますね」
「そんなような部分で
落語っていうのは ははあ これ
生涯の友達にしといても
いいんじゃねえかなと
そんな… 思ってるんですがね」
そうですって。
やっぱり こうだった…。
そう。
いやあ もう 落語と自分の生活を
一致したいと思って
自分と落語の同化を
多分 人生にした…
目標にした
師匠だったもんですから
もう なんか こう
生活自体を落語という…。
みたいに?
はい。 ものすごく物を大切…。
「いいんだよ。
人間って せこいもんなんだ」
って言いながら
前の晩 もらってきた
おすしをですね…。
おすしを?
ええ。 おすしを次の日
もう大丈夫かな? と…
弟子が… 大丈夫かな? と思うと
握りずしのネタを
全部 外しまして…。
師匠が自分でやるんですよ。
外しまして
そして
これをフライパンにのせまして。
そして これを焼く。
火を通す。
はい。 火を通しまして。
そして それぞれの
握ってある おすしは
全部 この丼に入れまして。
そして
ほうじ茶を熱くかけまして。
で これ 見事に
お茶漬け状態にしまして
そこへ
焼いた このお魚をのせながら
茶漬けにして きちんと
最後の最後まで食べるんです。
で 私たち弟子にも
「お前たちも食え」とか言いながら
こうやって…。
大切に… 自分の所に来たものは
縁があるんだから
ちゃんと
食べきってやんなきゃいけない。
「あのシラス どうした?
昨日の残しといた
シラスあったろ?」って。
シラスを12~13匹
ラップにくるんで
冷蔵庫にしまう師匠なんですよ。
で こうやって…
「師匠 冷蔵庫に
あるはずなんですけど」
「ねえから言ってんだ お前に」って
言いながら
薄いラップに包まれた…。
わかります。
こんな ちっちゃい…。
下に落ちちゃう。
あっ そうか。 こういう所からね。
下に落ちてるものを
「ないじゃねえか」って
シラス十何匹で
どれだけ怒られたか。
でも 怒られて…
それの場合はあれですけど
落語の場合なんかは
怒られているのか
褒められているのか
ちょっと わからなかった時が
あるんですって?
そうですね。
それなりに お客様には ちゃんと
師匠が
教えてくれたとおりにやって
反応は もらったのになと思って
楽屋に行きましたら
師匠が 「お前 今の落語で
何が言いたかったんだ?」。
「はあ?」。
「いや 何が言いたかったんだ?
今… 今の落語で」。
私 教わったとおりに
やっただけなんですよ。
だから 「何が言いたかったんだ?」
って言われると
それ以来 ああ
なんか 言いたい事がないと
落語 やっちゃ駄目なのかなと
思いながら…。
それでも 師匠の言ってる事は
結局 古典落語を
ただただ ただただ
習ったとおりにやって。
「今日 自分がやりたかったから
これ」じゃなくて
今日のお客に
お前が 何かが言いたいがために
この落語を選んだっていう
落語をやっていけよっていう事を
多分 言ったんでしょうけど。
それが ものすごい
印象といいますか 僕の…。
そうですね。
そのあとの落語の…。
人生で…。
やり方を見事に
変えてくれたひと言…。
なるほどね。
はい。
でも まあ
あの型破りな師匠のおかげで
今の自分があると
思っていらっしゃる。
はい。 それは もう本当に
そのとおりですね。
落語 最後は師匠…
談志は書物も残しましたし
DVDも残しました。
タイトルが
「落語とは、俺だ」っていうのを…。
すごいですね。
はい。
で これ 「落語とは、俺だ」
っていうのを
普通の方が聞いたら
なんて まあ
そんな事 よく言えるねとか
なんて まあ 傲慢なと
お思いかもしれませんけど。
そうじゃなくて きっと
うちの師匠の
独特の言い方で言うと
「落語とは、俺だ」と
全員 落語家が そう思って
落語をやんなきゃ駄目だろ
っていう…。
落語という作品を ただ 教わって
やってますじゃなくて
落語とは俺の事なんだと
全員が思え。
少なくとも うちの弟子は全員
そう思え 俺の弟子はっていう
言葉だと思ったら すごい…。
最後に残した最高の名言ですね。
「落語とは、俺だ」。
面白い方ですね。
息子さんがいらっしゃるでしょ?
あなたは。
はい。
落語家になりたいとは
おっしゃらなかった?
いやいや
本人は
言ったつもりらしいんですけど
私は聞いてないと
いまだに親子の間では
そう言ってるんですけど。
あっ そう…。
本人は よそで色々と
「3度も頼んだのに
断られたんだ」とかって
言ってますけど。
本人にも しばらく経ってから
言いましたけど
頼むというのは
きちんと誰もいない所で…。
和室ならば 正座をして
椅子でも
とりあえず 両手をそろえ
「話があるんだ」と言って
「実は… 私…」というのを
「頼む」と言うんで。
2人で こうやって
そば屋で そば食いながら…
日本酒
ちょっと ちびちびやりながら…。
「で なんだよ?」って言ったら
「うーん。 俺
落語家になりたいんだよね」って
言って
そば すすられてもですね
これは…
頼んだ事にならないんだぞ
っていって
よく そのあとに
話 してるんですけど。
でも 元々 僕は
する気はなかったんです。
あっ 息子さんを。
はい。
これは どうしても 父親の感覚で
この子は 落語の面白いところは
随分 見ただろうし
楽しいところも
随分 見ただろうけども
そういう世界ではないんだ
っていう事も
説明する必要もないし。
もっと彼は何か…
違う事で人を喜ばせる事が
できる子だろうなという事を
ずっと僕は思ってたものですから。
あっ そうなんですか。
まあ 悪かったのは 僕が
それを先に説明しなかった事が
悪かったのかも
しれないんですけど。
でも 息子さんは
梅干しプロデューサー…。
はい。
今 梅干しで…
頂きましたけど
おいしかったです。
ありがとうございます。
梅干しを… ああ 今 これ…。
すごい。
徹子さんに ぜひって言って。
うれしい。 あら すごい。
子供に
言づかってきてるようじゃ…。
あら すごい。
これまた すごい…。
なんですか?
ちょっと この中 見て頂いて。
まあまあ
色んな種類があるんですけど…。
すごいですね。
今風ですよね やり方がね。
そういう意味では 私が…
私が 落語家になるっていうのは
自分が落語をやらないと
気が済まないっていう部分が
あったとしたら 同じように
息子に言わせると こんなに…。
梅干しという
世界中で こんなに
すばらしい文化を持った日本人が
梅干しって どういうものだか
よく知らないとか
知らないまでも 食べないとか。
それは もったいないじゃないか
というので
本当に 梅干しにほれ込んで。
本当に おいしそうですよ これ。
今 出して食べたいぐらい。
ハハハハ…。
ねえ。
でも 公演なんかで
お会いになれない時っていうのは
息子さんは いい子で
電話をくださるそうで…。
ああ そうですね。
やっぱり
まあ 心配してるんでしょうね。
でも 息子さんには なるたけ
本物を見せようとは
初めから思ってらした。
それは本当に そう思いました。
スポーツも最低限の事は
やってほしかったので
野球のグローブを置いたり
それから
テニスのラケットを置いたり
まあ とにかく…
ギターを置いてみたり。
なんか こいつが自分で手に取って
自分で始める。
無理やり ギターやれ…。
ろくにやれなかったから
やれとか
ピアノを… 本当はピアノを
ちっちゃい頃に習えたら
人生 変わってたかもしれないと
思うからといって
ピアノを習いにいけとか
っていう気は
あんまり なかったんですけど。
ただ そばに置いといて
なんでも やりたいと言った時に
すぐ
それができるような状態には
しとこうと思っては
いたんですけど。
そういう意味では なんか
色んな… 色んな事を まあ
吸収するだけ吸収してた
ちっちゃい頃を見てましたんで。
それで なんか こう
無理やり 自分が落語家だから
落語家になるっていうのが
別に そのレールだけでなくても
色んなものがあるんで
見てきて…。
本当は すぐじゃなくて
一回 卒業して
どこかに行ってから
やりたいと言ったら
考え直すつもりは
ないわけじゃなかったんですよ。
で 糸井重里さんに
預けたんですよ。
あら。 フフフフ…。 それじゃあ…。
糸井さんに預けたら
糸井さんの世界が
ものすごい
面白かったんでしょうね。
2年ぐらい
預かってもらったんですけど。
で 2年経ったら
やっぱり 落語家になりたいって
言うのかと思ったら
もう 糸井さんの世界で
キラキラ輝いて 毎日
家へ帰ってきてたんで
わあー 正解だったとも言えるし
少し なんか
寂しいなと思ったり…。
あっ そうですか。 面白い。
勝手なもんですね 親はね。
オリジナルの落語は
いくつもおありなんですけど。
20を超えるぐらい
あるそうですが。
伊能忠敬を描いた作品もおありで。
はい。 これを…。
あれは地図ですよね?
そうなんです そうなんです。
千葉県の佐原市… 今は香取市。
佐原市に 初めて伊能忠敬記念館
見に行きました時に 全然…。
教科書で「伊能忠敬 地図」
ぐらいしか知らなかったのを
うーん… まあ ちょっと
寄ってみるかと思って
寄りましたら その記念館の中で
衛星で撮った
日本地図のところに…
横に伊能忠敬が1821年に…
ちょうど200年前です。
今年200年になるんですけど。
ちょうど。
200年前に作って
歩いて歩測で地球1周分…
55歳から73歳までかかって
これが重なった時に
ほとんど狂いがないのを見て…。
すごい! 狂いがない?
狂いがないんですよ。
うわー すごい。
もうね…。
そりゃ背筋が…。
こういう時に 使う言葉かどうか
わからないけど
鳥肌なのか 背筋が凍るのか
おおー! と思って。
この感動は落語を聴くお客さんに
絶対 伝えなきゃと思って…。
なるほど。
それで 落語になさったんですか。
『伊能忠敬物語』をこしらえまして。
来年の1月も
その落語になさったものを
おやりになるんですって?
はい。
1カ月… 言ってよろしければ
渋谷の新PARCO劇場で
1カ月…。
1カ月?
はい。
公演やらせて頂きますので…。
どのぐらい? 時間的には。
時間的には
伊能忠敬の この物語だけは
1時間ちょっとだと思いますけど。
合計2時間ちょっとの公演を
1月…
ちょうど初笑いといいますか
劇場の正月のオープニングに
ぜひ 来て頂けたら…。
すごいですよね。
ですから なんで こんなに熱く
伊能さんをと思ってるのか
自分でも不思議なんですけど。
でも 本当に
皆さんに知って頂きたいなと…。
「落語は俺だ」という事を
言えるような事を目指して
頑張ります。 はい。
どうも ありがとうございました。
『徹子の部屋』は
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