出典:EPGの番組情報

100分de名著 ル・ボン“群衆心理”(3)「操られる群衆心理」[解][字]

政治指導者やメディアは「断言」「反復」「感染」という手法を使って、群衆に「紋切り型のイメージ」「粗雑な陰謀論」を流布。私たちが操られないためには何が必要か?

番組内容
政治指導者やメディアは、「断言」「反復」「感染」という手法を使って、群衆に「紋切り型のイメージ」「粗雑な陰謀論」を流布するというるル・ボン。極度に単純化されたイメージに暗示を受けた群衆は、あるいは暴徒と化し、あるいは無実の民を断頭台へと送り込むところまで暴走を始める。第三回は、「群衆心理」を操るものへのル・ボンの警告を通して、為政者やメディアに扇動されないためにはどうしたらよいかを考える。
出演者
【講師】ライター…武田砂鉄,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】長塚圭史,【語り】藤井千夏

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格

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  1. 群衆
  2. 断言
  3. 自分
  4. 指導者
  5. ボン
  6. 意見
  7. 手口
  8. ヒトラー
  9. NHK
  10. 政治家
  11. テレビ
  12. 演説
  13. 感染
  14. 新聞
  15. 人民
  16. 反復
  17. ニュース
  18. メディア
  19. ロベスピエール
  20. 伊集院

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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国家の命運をも動かす 群衆。

ル・ボンの「群衆心理」には

彼らを巧みに操る術が
明かされています。

この本を読んでいた 独裁者ヒトラー。

その演説は 群衆を熱狂させる
恐ろしい力を秘めていました。

第3回では 政治指導者や
メディアが用いる手口に迫ります。

♬~
(テーマ音楽)

♬~

「100分de名著」 司会の安部みちこです。
伊集院 光です。

さあ 前回は
群衆は言語や標語 幻想によって

簡単に動かされてしまうということを
学びましたけれど

結構 身につまされる内容でしたよね。

ご挨拶の前のVTRもあったんですけども
これを ヒトラーが読んでいるという。

読んで まあ 悪い方に使うみたいなものの
怖さも すごいですね。 ええ。

では 指南役ご紹介しましょう。
ライターの武田砂鉄さんです。

よろしくお願いします。
お願いします。

武田さん
第3回のテーマは何でしょうか?

今回は いかにして群衆が操られるのか

その際に行われる この政治指導者の手口
というのを見ていきたいと思います。

偶然 それが起こるっていうよりは
やっぱり手口なんですね。

これこれ こうやって こうなったら
こうできるのではないかという

手口に基づいて
やはり 政治を動かしてきたというのが

この 歴史のあらゆる場面であった
ということですね。

俺 どっちが怖いんだろうと思っちゃって。

その 無知な人間が 何となく本能的に
それを始めちゃって

どんどん肥大化していくことも怖いし

テクニックとして使われてることは
怖いし。

まあ ただ少なくとも
ここで学んでおくと

そういう時に あれ? これ
あの状況だなってことが分かることで

まあ 少なくとも 流される群衆側には
行かないんじゃないかっていうのは

まあ ちょっと思います。
(武田 安部)そうですね。

では 早速
作品の中身に入っていきましょう。

朗読は 長塚圭史さんです。

フランス革命の中心人物 ロベスピエール。

もともと弁護士だった彼が 僅か数年で

圧倒的な世論を味方につけられたのは

彼の演説に理由があります。

ロベスピエールは 時に
自分と考えや意見の異なる者たちを

「人民の敵」と決めつけました。

「陰謀」を持ち 「仮面」をかぶる
「人民の敵」。

たとえ 自ら「殉教者」になろうとも
「恐怖」によって 彼らと戦うのだ。

そのように 二項対立を意識しながら
政敵の処刑を実行していきます。

そして毎回 演説の最後に
「自分も人民の一人だ」と強調。

ロベスピエールに逆らうことは
人民に逆らうことと同じであると

印象づけました。

ル・ボンは 群衆を惹きつける
指導者の手口を こう記しています。

広告の方が分かりやすいです。
広告は分かりやすいんだけど

「体にいい」って
よく言うじゃないですか。 ええ。

その時に
「場合によっては 体にいい」っていう

そのキャッチフレーズの
俺らは ものを買うかといったら

買わないですよね。
そうですね。

「場合によっては」の辺りは よ~く見ると
今は法律で書いてあるんだけれども。

そうですね そこまで見ませんよね。
まあ 見やしませんよね。

「健康チョコ」だったら 買いますもんね。
そうそう そうそうそう。

例えば 政治家が選挙に出てですね
自分が当選したいっていった時には

「私が受かったら
何々を実現します」とか

「私が受かったら 給料上がりますからね」
というふうに断言するわけですよね。

その時に 「いや~ 僕が受かったら
多分 給料上がると思うんですけど

どうでしょうか 皆さん」というふうに
言う人というのは いないわけですよ。

でも もしかしたら
誠実なのは その後者というか。

で なぜ その彼らが
力強く断言できてしまうかというと

これ やっぱり結果というのが

実は シビアに問われない
というところがあって。

例えば 思い出すと
小池百合子都知事が選挙に出た時に

2016年でしたかね 「7つのゼロ」
というのを 当時 すごく話題になって。

じゃあ その公約について
今 どうだったのかということを

検証してみると
まあ ほとんど達成してないんですよね。

その断言の塊として ある意味 まあ
マニフェストみたいのを作ったんだけど

マニフェストを破ったじゃないか
みたいな 議論すら

ほんと やっぱり されないですよね。

マニフェストどおりには
そりゃいきませんよ みたいなことを

平気で みんな言いますよね。

更に その政治家が
「2026年までには こうします」とか

「2030年までには これとこれ組み合わせて
改善しますので」って言った時に

2016年を振り返ってるという行為が

非常に 非生産的に見えてくる
ということがあって。
はい。

現在でさえなくて…

ただ これの難しいところはね

次々と新しいことが起こっていく中で

既に その断言した人に
ついてっちゃっている群衆たちは

「まだ そんなこと言ってんのかよ」
ってなるし。

新聞って 毎日 刷らなきゃなんなくて
毎日 新しいニュースが。

テレビって 毎日
ニュースをやんなきゃならなくて

毎日 新しいニュースきた時に
まだ それやるの?

既にもう テレビニュースや新聞が
もう抱えてる

直しようのないところ みたいな。
そうですね。

でも 僕 思ったのは
断言を ちょっと もしかしたら

群衆の方も待ってるかなって
思うのは

何か最近 僕ね
コロナについて思うんですけどね

僕が信頼するお医者さんは
場合によってはの話をしてくれる人です。

こういうケースも まだ分からないから
ありえますと言ってくれる人ですけど

これを 「ワクチンの副反応で死んだ人は
いない」って断言されると

いないんだと思うんだけど

逆に 懐疑派の人は 「ワクチンの副反応で
すごい たくさん死んでる」って

これを断言しちゃうわけですよ。

何か その危うさと
でも そう迷う人が減っちゃう分

どっちかに ワーッと
人 行くなっていう。 そうですね。

何か恐ろしさと まあまあ これの…
言ってること 分かる。 重なりますよね。

どっちにしたって
断言してほしいんでしょうね 私たちは。

はっきり言ってほしい。
何か どっかで どっちなんだよって。

ほんとは その間の中で 僕たち個人が
今 伊集院さん おっしゃったように

「場合によっては」とか
「自分は こう考えるんだけどな」とか

「あの人は ああいうふうに
言ってたんだけどな」というふうに

その間のグラデーションの中で

自分の考えを見つけてかなくちゃいけない
というふうに思うんですけども

どうも この上の方か
下の方かというところに…

それは だから
やっぱり 断言することの強さ。

ほんとは そこの間の
グラデーションあるんだけれども

それ 取り除いちゃう
ということなんですよね。

このように
指導者が群衆を操る 断言ですが

加えて ル・ボンは 2つの手口を
明かしています。 見ていきましょう。

フランス革命から およそ150年後。

強烈な演説で 聴衆を熱狂させ

虐殺を遂行していく
政治指導者が現れました。

青年時代 ヒトラーは
ウィーンの宮廷図書館で

ドイツ語版の「群衆心理」を
読んでいました。

群衆の心理を研究していたヒトラーが
演説集会で重視していたのは

誰にでも分かるよう
断言を反復することでした。

ヒトラーは 「ドイツ国民の利益を守る」

「私が国民の前に立ち 世界と戦う」
といった断言を繰り返しました。

(歓声)

ル・ボンによれば
群衆は 断言を反復されると

どんな内容であっても
疑いを持たなくなってしまうといいます。

例えば 「最上級のチョコレートは
これだ!」と 100回も読むと

真偽を問わず それを
固く信じるようになってしまうのです。

そればかりではありません。

こうして高められた 指導者への信仰は
群衆の中で 自然と膨れ上がります。

この効果を ル・ボンは
「感染」と呼びました。

断言 反復 感染。

この3つこそ 指導者が群衆を操る
恐ろしい手口なのです。

ああ~… 恐ろしいなと思うのは

これを上手に使うと
自分の意見は通るぞという使い方を

ヒトラーはしたわけじゃないですか。
そうですね 十分できうる。

それは相当怖いですよね。

さっきのね ヒトラーの演説 あそこまで
今 明確に断言・宣言する人ってのは

まあ 日本の政治家では少ない
というふうに思うんですけれど

例えば 今 日本の政治家で
よく使うのがですね…

…という言い方をするんですよね。

そうすると ほんとは
議論されてなかったことに対しても

これは もう…

ほんとに以前から申し上げてるかどうか
分かんないですもんね。 分かんないです。

でも 毅然とした態度で 「だから私
言ってましたよね」って断言されて

何度も言われちゃうと

「まあ 言ってたんだろうな
俺が知らないだけで」って

まさに浮動票みたいな人が動く
というのは 何か分かる。

僕が出版社で 編集者やってた時に
本の帯に 帯文句を書きますよね。

例えば本を文庫化する時に 皆さんも
書店で よく見かけると思うんですが

「待望の文庫化」って
書いてあるわけですね。

僕はあれ 自分でキャッチコピー
つけたことあるんですけど

「誰が待望してるの?」って
上司に言われたことがあって。
ああ~。

でも そんなに みんな 素直に
受け取る人ばかりじゃないけれど

「ああ 待望されてたんだ この文庫化は」
って どこかで思うわけですよね。

そこに何かこう 正しい…
正しさがあるかっていったら

自分で書いといて なんですけど

正しくはなかったんじゃないかな
というふうには思いますね。

何か 恐ろしいもんで
もともと 本に対して こだわりがある

例えば読書家の人たちは それほど僕
そこに影響力はないと思うんです。

ある程度 どっちでもいい人って
いるじゃないですか。

浮動票みたいな人を
ガーッと持ってきて

ものすごい増殖させる力が
その 断言にも反復にもあって

で そこからの感染に
やっぱり ちょっと…。

感染には加担しちゃってますよね
私たちは。
加担する。

断言 反復 感染。

それによる群衆の考えは ル・ボンは酒場で
形づくられると言っているんですね。

その酒場が
今は SNSになったりするので

何か より大勢集まって
感染力も 高いっちゃ高いんでしょうね。

僕は やっぱりSNSで 断言する

しないと収まらない文字数の
制限になってるから。 ええ ええ。

本人が そうしようと思ってなくても

どんどん そうなるっていう傾向に
あるんじゃないかっていう。

それに慣れることによって 僕ら個々人の
この思考法みたいなものは変わってきた。

それは 多分
ツイッターやってらっしゃらない方でも

その型で意見を見るってことが
ものすごく増えてきてると思うんで

これは だいぶ急速に 何か…

ネットニュースのタイトルって
まあ その企業にもよるんですけど

多分 14文字とかじゃないかなっていう
決まりがあるので。

14文字の上に 結構 エキサイティングじゃ
なきゃいけないっていう

こう 縛りが出てくるでしょう。

だから 今日はもう…

「猛反発」。
収まってますね。

ね。 だって先生に
来てもらってることに対して

僕は知識がないんだけれども

「これって こういうケースありますか?
ありますか?」って言ってるわけだから

ウソじゃないじゃないですか。
ウソじゃないですよね。

ウソじゃないけど 「うわ~ 武田砂鉄に
食いついてんな あいつ」っつって

結局 中も読まなきゃ これも見ない
という人が出てくるわけで

もう ちょっと ゾッとしますわ。
困りますね。 もう ゾッとしますね。

さあ 群衆を操る指導者の手口は
分かってきましたが

一方で 群衆を操るのは 必ずしも
指導者の存在だけではないといいます。

それは何なのでしょうか。
見ていきましょう。

フランス革命の指導者たちが
群衆を操るのに役立てていたのが

新聞や雑誌などのメディアだと
ル・ボンは指摘しています。

こちらの絵画に描かれている
ジャン・ポール・マラーは

ロベスピエールと並ぶ指導者。

彼が 反対勢力から暗殺されたのが
このシーンです。

当時 マラーは 「人民の友」と呼ばれる
新聞を大量に発行し

特権階級や その支持者を
痛烈に批判していました。

群衆の怒りを増幅させる この新聞は

革命中の多くの虐殺事件に
影響を与えたとされています。

一方 ル・ボンは 群衆の意見を
操っていたはずの定期刊行物が

逆に 群衆の感情におもねるようにも
なっていると指摘しています。

今あったとおり 群衆の心理を操るのは
指導者ばかりでなくて 定期刊行物だと。

今でいえば テレビであるとか
インターネットということも

もちろん 含まれてくるんですが
この 「読者たちに意見をつくってやり

彼等に出来合いの文句をつぎこむ」
というのは

テレビのニュース番組でも 率先して

「視聴者の皆さん dボタンを使って

今回の政治の判断について
どう思いますか?

賛成です。 反対です。
どちらでもないです」。

それを その場にいる政治家に
聞いたりして

政治家が
「いや~ 思ったよりなんですね」とか。

それ メディアとしての役割として

それでいいんだろうかというふうに
思いますよね。

砂鉄さん その「どちらでもない」が
あるだけ マシですよね。

あるだけ マシですけどね。
ああ~。

実は 極論を
さらに極論にしちゃうような装置として

結構 テレビ番組が働いたり
ニュース番組が働いたり。

本来は 大体のことが 「どちらでもない」に
近いはずなんですけど

それじゃ このテレビを楽しめないし

これには属せないということを
やっちゃってますよね。

で ただ どうすればいいのかが
僕は分からなくて

じゃあ テレビが 視聴者の意見を
全く取り入れないで

自分たちが思う意見に沿って やっていく
ということも これまた 違うでしょ?

ただ 取り入れすぎだと思うんですね。
はい はい。

僕が ニュース番組を見ていて
あまり好きではないのが

「街の声」っていうやつで

当然 そのマイクを向ける側が
選んでいるわけですよね。
はい。

で 賛成する・反対するの順番であるとか

それに割く秒数 分数であるとか
そういうのも非常に…

…というのは いかがなもんかな
というふうに思ってますけどね。

街の声とる仕事というのを
2年間 やったことあるんですよ。

だから すごく今 悩ましいなと思って
お聞きしてたんですけれど

でも あの時は それがないと
何というんでしょうか

街の人たちのことも
何にも考慮に入れず

NHKが出したいことを出してる みたいに
なるんだったら

街の人たちの いろんな声を聞いて

できるだけ均等に入れようかって
作業はしてたんですけど。

NHKが こう思うというのと
NHKが選んだ街の声っていうのは

NHKが選んだ街の声の方が何となく
民主的には見えるけれど…。
分かる。

NHKが選んでるんですよね。
そうなんですよね。

であるならば 僕は NHKが言ってほしいな
というふうに思うんです。

これにおいて 本来は メディアは
どうするべきなんですかね。

やっぱり そこはもう
報道機関としての主語を取り戻して

「私たちは
こういうふうに思ってます」って。

それを言うと 「いや なかなか それ
できないんですよ」という

声が聞こえてくるのは分かるけれど

でも その 結局 誰かを通して
自分の主語を使ってるわけなので

この間を通すのを 少し取り外して

きちっと オピニオンを
言ってくれないでしょうかと。

うわ~… だから僕は
そこが すごく難しいんだよな~。

何か 自分は そのラジオの
ニュースのコーナーに出たりする時に

極端な自分の考えは言うべきではないって
少し思ってるんです。

それは その
扇動することがありえるから。

聴いてる人の考えに委ねる
ということ自体はしちゃうし

あんま いけないことじゃ
ないんじゃないかな。

だから それが
結論に使うなってことですよね。

伊集院さんが「いや砂鉄が こういうふうに
言ってましたよ。 ではでは」じゃなくて

「砂鉄が こういうふうに言ってましたよ。
まあ 僕は こういうふうに思ったし

ここは意見合うけど
ここは合わなかったから

引き続き考えましょう」
というのだったら いいんですけど。

つまり 放り投げるのだけは
やめてくれよと。
なるほど。

「どうやら 街の意見は反対なようですね」
というのは

ちょっと ズルすぎるだろという。
さすがに ズルいだろうと。

伊集院さん 第3回 どうでしたか?
濃かったですね。

この本を ヒトラーは読んでるけど
群衆が読んでないっていう状況が

一番よくないと思うんですね。

かなり冷静になれることは
あるんじゃないかって。

「あ 今の状況
あの本に書いてた あれだな」。

きっと その先に また巧妙なものは
待ってるんでしょうけど

まずは 知らないと
という感じですね。

武田さん ありがとうございました。
ありがとうございました。

ありがとうございました。

(コカド 中岡)「ロッチと」…!

Source: https://dnptxt.com/

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