出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 南こうせつ[字]
~72歳!“夢の家”から2LDKへ…~南こうせつさんが今日のゲストです。
◇ゲスト
南こうせつさんがゲスト。
◇番組内容
生活拠点は大分、仕事は東京という暮らしを始めて40年以上。30代で手に入れた家は大自然の中、子供3人とのびのび暮らそうと建てた家。子供たちが巣立った今「この家は大き過ぎる」と思い立ち、2LDKの家に建て替えたという。今年、春のセンバツで準優勝した大分の高校の校歌はこうせつさんが作ったもの。勝つたびに歌が球場に流れ、学校名も名所も出てこない歌詞が「異色の校歌」として注目された。今日はその校歌を披露♪
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- クスノキ
- ホオノキ
- ボール
- 歌詞
- 校歌
- 実家
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(黒柳)皆様 ここは
ジャングルではなくて
この方のご自宅の庭でございます。
今日のゲスト
南こうせつさんです。
お住まいは大分 仕事は東京という
ご生活。
コロナでは
いろいろと大変でしたけど
そんな中
家を小さくしようとですね
建て替えで
お荷物整理が また大変という。
まあ ご実家は お寺という。
そういう 南こうせつさん
今日のお客様です どうも。
まあ 自宅の庭は
キレイな青い緑がいっぱい。
そうですよね。
まあ せっかく ほら
田舎に…
まあ 随分前 越したので。
だとすれば
広い土地が手に入ったので
東京だと もう 同じ値段だと
もう こんな何坪しかないのが
田舎だと広く買えるから。
せっかくですから そこを
自分の好きな木とかね 花とかね
そういうのを植えて
楽しんでますね。
すごいね。 実家のお寺からは
車で1時間ぐらいの所
なんですって?
そうなんです。
随分 大きな… これ 葉っぱ?
これ わかる? なんの木か。
わからない。
さあ テレビをご覧の方
なんでしょう?
1番 クスノキ。
2番 えっと… うーんと…。
クスノキでしょ? きっと。
シイノキ。
3番 ホオノキ。
クスノキ。
クスノキね? 1番ね。 違う。
3番のホオノキ。
ホオノキ?
あのね あの…
徹子さん あれ知らない?
朴葉みそとか わかる?
知ってる 知ってる。
これね 葉っぱにくるんで
焼くのね。
それのホオノキ。
その葉っぱなの?
うん。
で 真ん中のが花なんですよ。
ええー!
ほら ちょっと可愛いでしょ?
すごくキレイ。
タイサンボクに似た…。
香りが また いいんですよ。
あっ そう。
この花が。 今は もう 高くなって
15メートルぐらい
ありますけれども
最初は もう これぐらいのを
引っ越した時に
植えたんですけどね。
1メーター半ぐらいの。
うん。
そんなに大きくなったんですか?
そう。 それが すごいね
もう すごい楽しくて。
手に持ってらっしゃるのは
何? これ。
これ 蜂の巣ね。
あっ 本当だ!
これ スズメバチっていうね…。
これは 刺されたら
もう 大変な事に
なりますよ。
これは ちょうど
冬を越すと
もう みんな
いなくなっちゃうんで
春に撮った
写真ですね。
これは こっち来る前に
ちょっと休んで。
ちょっと疲れたので 1枚…。
そんな感じね。
ハハハハ…!
やっぱり なんか ホッとしますね。
東京で こうやって
お仕事の時も
やっぱり 街路樹を見ただけでも
ホッとするしね。
そうそうそう。
なんか いいんです 僕は。
それから 空気が良さそう
いかにもね。
ああ…! そうですよね。
今は 3人のお子さんは独立して。
はい みんな。
ご夫妻 2人暮らしで?
そうですね。
再びね 2人になりました…。
それで 奥様が
野菜をお作りになって?
もう 畑専門で。
で あなたは お庭の担当?
そうです。 庭の整理したり。
いや いいものですね
緑を近くに感じるっていうのは
本当に。
そうでしょうね。
うん 好きですね。
で もう 2年前ですか
70歳を機に 自宅を小さくして
建て替えたっていう
お話なんですけど そうなの?
もうね 物があると大変ね。
わかります。
大変!
みんな 今…
みんな 困ってるのは物よね。
もうね
あれも欲しい これも欲しいって
若い時って やっぱり
こういうのもいいよね! とかが。
あの形もいいし この色もいいよね
とか ついつい…。
それが気が付いてみたら
やっぱり もう
足の踏み場もないように
たまっちゃって。
で なんかがきっかけで
どこかで整理しようと思って
僕はね 還暦の60だと思ったの。
60で ここだ! と思って
自分で言い聞かせたんですけど
なんか 体が向かなくて
なんか だらだら 先送りしてたら
もう 70!
もう 70?
70超えちゃったんですよ。
あら おめでとうございます。
ありがとうございます。
それで ここでやらないと
もう 子どもたちに迷惑かけると。
ああ そういう事があるわ うん。
80とか90… 100になったら
もう 自分も そういう
頭を整理する能力っていうのは
なくなってくるから。
ここだ! って 本当に意を決して
70の時に お家を小さくして。
どんな風に建て替えたの?
えっとね 前はね…
前のを…。
大きかったでしょ? ものすごく。
大きかったと思う。 あの…
リビングが40畳ぐらいあったかな。
みんなで大騒ぎできるように?
もう みんなも来てくれたし。
それから 天井も
3階建て分ぐらい あった…。
高い… うん。
で 南の方が海だったから
全部ガラス張りにして。
すごい。
豪邸ね やっぱり
はっきり言ったらね。
どうなんですかね? あんまり…
そんなに
お金かかってないんですけど
そういう風にしたかった…。
そして まあ
ハリウッドドリームですよね。
うん すごい。
なんか 若いから。
で 2LDKにしたの。
ええー! また随分…。
キュッと ちっちゃくして。
そして あの…
全部 バリアフリーにしといて。
そして あの… 車椅子でも
トイレに行けるようにとか。
いいじゃない。
うん もう 今のうちにしとこうと。
そうそうそう。
なんか そういう風にして
そうすると やっぱ
気持ちが すごい楽になって。
掃除も楽でしょ? 狭いからね。
そうそうそう。
でも お写真の整理が
すごかったんですって?
ああー… 写真 たまってたな。
そうですってね。
うーん プライベートも含め
ええー…。
だって コンサートとか
いろんなのがあると
全部 それの写真が
何枚もあるでしょう?
いっぱいあるし。
それから 子どもの写真も…。
3人いる… この子の小学校の時の
運動会の写真っつうだけで
1冊あるわけじゃない?
そうよね。
この子の これ。
こう こう こう…。
それを シュレッダーで
やったんですけども
ちょうど 娘が協力してくれて
帰ってきてて。
そうなの? うん。
それで えっと…
1週間 毎日 朝から晩まで
ガー ガラガラガラガラ…
ってやってね
ゴミ袋にね 娘が言うには 70袋。
70袋?
すごい。
写真だけ。
すごいわね。
あれは助かった。
でも なんかね その…
本当に必要な写真って えっと…
徹子さんは戦争を体験してるから
わかるけど…
僕はしてないですよ
昭和24年生まれだから。
1枚… 当時 1枚あればね…。
いいのにね。
友達の事とか 母の写真とか…。
誰が その時いたとかね。
きょうだいとかね。
もう 1枚あればね
その頃の自分の思い出が パーッと
この1枚から出てきてね。
そして あの… 十分 懐かしめる。
それなのに なんでだか 写真って
同じ事柄なのに
何枚も何枚もあるもんね。
そうそう。
同じ野外コンサートなのに
もう 100枚も200枚も。
もう 1枚あればいい。
そう 1枚…。
思い出のコンサートの写真がね。
なるほど。
うん。
でも その中で 古い歌詞…
なんか 整理してらしたら
歌の古い歌詞を
お見付けになったんですって?
歌詞がね
いくつか出てきましたね。
僕らが フォークソングって こう
歌ってたのは
こうやって ギターで…
ギターで こうやって歌うのよ
フォークソングって。
こうやって歌ってる。
その頃に 『神田川』が出て
しばらくした時に
作詞家の星野哲郎さん…。
ええ 哲郎さん。
もう 超… 大大御所。
レジェンド。
そうそうそう… すごい。
北島サブちゃんのね…。
『函館の女』。
都はるみさんの
『アンコ椿は恋の花』。
あれも そうなの?
そうですって。
レコード会社が
一緒だった関係で
年齢は違いますけど
紹介していただいて。
そして ごはん食べたり
したんですけど…
ゴルフもした事が
あるんですけど。
ある時に 『神田川』とか
「貴方は」って歌うじゃないですか。
♬~「貴方は もう忘れたかしら」
♬~「赤い手拭 マフラーにして」
これを歌ってた その頃に…
ごはん終わったあとに
「こうせつ ちょっと これ」って。
「俺が書いた詞」とも
なんとも言わない。
「ちょっと これ」っていう感じで。
で いただいたの。
それは星野先生が
僕のために書いてくれた
詞なんだけど
そのフォーク全盛の頃って
例えば…。
♬~「わたしは
今日まで生きてみました」
♬~「わたしは今日まで」
って 詞がですね
もう 人生を歌うんですよ。
♬~「私たちの望むものは」
♬~「生きる苦しみではなく」
そういう詞が多いんですよ。
だけど 星野先生って
やっぱり
そういう詞じゃなかったのね。
やっぱり ちょっと こう…
時代じゃないなって思ったの。
それで 本棚に入れといたのね
その詞をね。
そして この70歳になる時に
お家を整理して
写真を整理して
詞も いっぱいあったのを
昔のも整理してたら
パッと それが出てきたの。
あっ これは 50年近く前に
先生からいただいた詞だと。
もちろん 今は
お亡くなりになってますよ。
で 『おかえりの唄』っていう歌で。
『おかえりの唄』? うん。
「この町は 小さいけれど」。
♬~「この町は 小さいけれど」
♬~「“おかえり”の唄が
きこえる町」
…っていう歌なんですよ。
「あの屋根の下 あの橋のそば」
「今日もきこえる おかえりの唄」
っていう…。
それが なんか胸に染みて。
その時に?
20代の時に これは もう
ちょっと時代じゃないとか
大きな事を言ってたんだけど
今 70になったら
グッ… 泣けてきちゃって。
うん わかる。
それで これはいい! って。
作っておこうって
歌を作ろうっつってね
その歌を作ったんですよ。
ケーブル…
地元のケーブル局の方が。
そうそう。 地元のね
ケーブルテレビの方たちがね
その歌を すごい気に入って。
『おかえりの唄』。
ちょっと VTRあります…。
あっ 本当? えっ うれしい!
♬~「この町は 小さいけれど」
♬~「“おかえり”の唄が
生まれる町」
♬~「あの橋のそば あの窓の下」
♬~「今日もきこえる
おかえりの唄」
これですよ。
大分県の杵築市という町の皆さん
ご出演くださったそうです。
本当にありがとうございます。
そうなの?
そうなんですよ。 100人ぐらい
みんな 協力してくれてね。
でも この歌が駅の発車オーライの
音楽になってるんですって?
うちのね…。 そう 発車ベル。
普通 「ルルルルル…」って
鳴るじゃない?
あれが これになっちゃったの。
あっ そうなの?
歌詞は出ませんよ。
♬~「タン タタン タンタン
タラランタ タンタンタン」
こういう風にね 鳴るんですけど
なんか…。
のんびりしてて。
うん。 なんかね
自分が ずっと40年近く住んで…。
40年住んでた町に
なんか そういう事で
貢献できてよかったと。
ねえ。
うん。
歌が売れるとか売れない
じゃなくて
貢献できてよかったかな
っていう風に思ってますね。
それから いかにも なんか
純粋な音がしてるじゃない?
なんかね。
ああー! そうね。
そう思わない?
多分ね そういった純粋な音を
引き出してくれたのは
星野哲郎先生の詞だと思う。
ああ そう。
最近 なぜか あなたは
甲子園で話題になって
斬新すぎる高校の校歌が
注目を浴びてるとかって。
どうしたんですか? それは。
そうなんです。
うちの… やっぱり これも
地元 大分県の
別府にあります高校で 明豊高校。
明豊高校?
ありましてね。
そこが強いんです 野球が。
野球がね うん。
今年のね 春の選抜 準優勝ですよ。
準優勝?
準優勝した。
でね あれ 勝つとね
最後に校歌が流れる。
うん。
それが 勝つと
校歌が流れるっていう事は
何回戦かあるから ずっと流れる。
勝つたんびにね。
他の高校は みんな…。
♬~「私の学びや いざ進め」
…とかいう歌が多いんですよね。
その中で 僕が作ったのがね…。
(ギター)
こういうの 明豊高校は。
(ギター)
ちょっと待って… Cか。
(ギター)
もうちょっと歌っていい?
いいわよ もっと。
ここがサビね。
イエーイ!
いいな! いいじゃない!
これ 徹子さん なんか あの…。
気が付く人は気が付くんですけど
「明豊高校」とかないんですよ。
そうだった!
今 気が付きました 私も。
なんにも入ってないなって。
そう。 普通はね
高校の名前とかね
あとは 自分のふるさとの
ナントカ山。
地名もない?
ない。
川の名前が出たりね
するんですけど
合併して 名前が
「明豊」に変わる時の学長さんが
「どうか 私のところに
校歌を作っていただきたい」
ってありまして。
「学校の名前とか
入れなくていいです」
「こうせつさんの…」。
珍しいね うん。
「高校生に… 思いを
歌にしてください」。
それで あれを。
奥様が作詞なすったんですって?
そうなんですよ。
学長さんの大学で
講師をしてたものですから。
そうなの。
で ご縁でいただいて
そして 詞を作って。
本当に「ナントカ高校」とかね
校名とか
それから 学校の…
なんか あるじゃないですか。
「質実剛健」とか。
そうそうそう。
「そういうの
入れなくていいんですか?」。
「大丈夫 入れなくていい」って
言ってくれたんです。
それで 何回も流れていくうちに
すごい あの…
他の高校の皆さんからも
あるいは他の球児からも
すごく褒められて。 いい歌だ…。
なんか
一般的には販売されていない
幻の曲っていわれてるんですって。
そうですね。
でも 野球は どうなんです?
あなた。
うーん… 野球はね
自分では 小学校の頃までは
なんか 草野球をやってね
それで 田舎だったから
河原の土手の所の向こうに
河川敷みたいなのがあってね。
そこで みんなで あの…
よく 野球をやってました。
ボールなんか 自分たちで作った
ボールだったんだって?
ボールなんて ないから
布切れで 丸く…
硬くしてね こうやって。
糸で巻いたりして。
ボール。 で バットないから
竹… 竹ですよ。 竹を切って。
すごいね。
それで みんなで
それ やるんです。
グローブも誰も持ってないし。
で チームを作ってね
やってたんです。
みんな 守りたがるのは
サードね。
あっ そうなの?
打つのは
4番に みんな なりたがる。
長嶋ですよ。
オリンピックに 今年もね…。
なるほど… そうそう。
感動しました。
長嶋さんになりたくて
みんな
4番でサードっていうのがね。
でも あなたは
歌が好きな子どもだったんだけど
お母様は 歌 好きだったの?
…だったと思いますね。
父も母も好きでしたけど
父は ほら お経を読む人だから。
そう お寺の方だからね うん。
母はね うーん…。
あっ これ お母様
歌ってらっしゃるの?
ああ そうだ! これ 多分ね
『湖畔の宿』だと思うな。
あっ そう。
高峰三枝子さん。
♬~「山の淋しい みずうみに」
♬~「ひとり来たのも
悲しいこころ」
♬~「ラララ ラララ」
♬~「胸のいたみに たえかねて」
でも あなたのお母様は
女学校を出て
とってもハイカラな方で
負けず嫌い?
負けず嫌いだったね。
えっ!
で お母様の実家が お寺だった。
ですね そう…。
で 跡取り娘だった。
だった…。
一人だったから
お寺を離れられなかったんだね。
今 思うと悔しかったと思う。
東京に出たかったんじゃないかな。
そうよね。
うん。
でもさ なんか 前 あなたに
やっていただいたんだけど
お父様の事を
好きじゃなかったって。
そうなんですよ あのね…。
本当にね 父が亡くなってね…
83かな。
83… 亡くなったのはね。
そして お葬式が無事に終わって…
盛大なお葬式でした。
父は お寺さん…
お坊さんだからね。
そして
火葬場で 父は骨になりました。
そして 骨は骨つぼの中に入って
再び 実家に戻ってきました。
で あの光景は
いまだに覚えてるな。
その骨つぼの所に うちの母が
ポツンと正座してたのね。
ここに亡くなった父の…。
それを 僕は後ろから見たんですよ
こうやって。
背中越しに母の…。
で 骨つぼがあります。
僕は 通りかかった時に
その姿を見て
ああ 夫婦はね
あの… こうやって
別れていくのかなとか思いました。
そして
お母さんを励まそうと思って
一人になったから。
それで きょうだいを…
4人きょうだい。
私は末っ子なんです。
お兄さん お姉さんを呼んで
お母さんを励まそうと。
「お母さん。 一人になったけど
子どもが全員で
お母さんの事を応援するから
頑張ってよ!」って
エールを送ったの。
そしたら
母はね 深いため息をしてね
ゆっくり こう 天井を見上げて…。
「本当は 好きじゃなかった」。
その話は 本当に あなたから
何回聞いても おかしいね。
残念ながら 本当の話なんですよ。
本当の話なのね。
ビックリしたでしょ?
その時 でも。
ビックリしたし その愛の結晶の
私たちの存在意義は
なんなんだって。
「なんなんだ」。
ハハハハ…!
本当にね。
でもね まあ それはそれで
思い出になりました うん。
でも そうすると本当の事を…。
今 あとで思えば
婿に入ったお父様という方は
人のいい
笑顔の多い方だったって。
本当に お坊さんでしたね。
口答えせず 不平も言わず
そういう時は いつも
「ヒュー」って なんか
口笛 吹くんですが
鳴らないんですが。
「ヒュー」と言いながら
その現場からスーッと
なんか 離れていっちゃって。
この不穏な空気…
スーッと 毎回 それが…。
で 裏の方から出ていって
大体 畑に行って
こうやって耕して
大根 植えたりしてました。
本当に お坊さんだったんだね。
そうですね 今 思うとね うん。
本当は
父は何をしたかったのかな。
何も聞けないまま
ヒューっと
いってしまいましたね ええ。
「徹子の部屋」コンサート
ございます。
東京は 11月24日
東京国際フォーラムAです。
それで 大阪は 11月28日
フェスティバルホールです。
どうぞ いらしてください。
お出になる方はですね ええー…。
南こうせつさん。
はい。
それから ゴダイゴ 純烈
中村雅俊 野口五郎 藤あや子。
顔ぶれ すごいです。
いいと思わない?
面白そうね。
ねえ すごく面白そう。
面白そう。 みんな明るいよ。
そうよ。 それでさ やっぱりさ
ゴダイゴはゴダイゴで
いい曲いっぱいあるじゃない。
あるね。
それから 純烈も 大人の感じで
すごくいいじゃない。
ええ。
それから 中村雅俊さん
野口五郎さん 藤あや子さん
それで あなたと。 とてもね…。
新しいアルバムを
お出しになったんでしょ?
あなた。
そうなんですよ。
このコロナの中で作った作品を
5曲。
まあ ミニCDアルバムとして
『夜明けの風』っていうのを
作ったんですね。
もう 本当に…。
すごいね 『夜明けの風』って。
夜明け きてほしいなっていうね
夜明けがくるって信じようって
そういう内容でございますね。
そうですか。
うん。
なんか コロナで自粛中の
曲も入ってる?
そうですね。
ほぼ そんな中で作り上げた曲…。
だって 去年 コンサート
ほとんど中止だった…?
ゼロですね。
ゼロ?
ゼロ。
あなたなんかは 随分 コンサート…。
僕らは だって ライブが もう…。
仕事だもんね。
そうなのよね うん。
本当に そうだから…
ライフスタイルだから。
それがなくなるという事は
私のバックミュージシャンであり
照明係 音響ね…。
そうよね。
みんな なくなって。
でも こうやって
また始まりだしてますから。
そう これでね。
ええ 始まってますから。
そう。
そうだよ。
夜明けがくるって信じます。
「徹子の部屋」コンサートにも…。
11月24日 東京国際フォーラム。
大阪は 11月28日
フェスティバルホールです。
出演者多数。 どうぞ お楽しみに。
楽しみ。
『徹子の部屋』は
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